見出し画像

『三日月ロック』 スピッツ




【私の音楽履歴書】 #21  スピッツ


遡ること数十年前のある日、車を運転中にカーラジオから、ある歌が流れてきた。何とも懐しく感じるメロディーと儚げな歌声だった。ギターのアルペジオが特に印象的だった。
そのラジオは「スピッツ」と「ロビンソン」という言葉を伝えていた。はて…どっちが歌手名でどっちが曲名なんだ…?
それが私とスピッツの最初の出会いだったと記憶する。調べてみれば95年の出来事だったらしい。
それから気づけばあれよあれよという間に「ロビンソン」は大ヒットとなっていった。

草野マサムネを中心とする彼らの音楽は、時代とともに多くの人々に支持されてきた。
そして彼らを語る上で、よく引き合いに出されるのがMr.Childrenである。言うまでもなく両者には共通点が多い。ボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人組バンドであること。4人とも同い年(同学年)であること。インディーズ時代を経てメジャーで成功していく時期がほぼほぼ重なり合っていること。類稀なるソングライティングのボーカリストがフロントマンとなっていること…etc…

そんな両者だが、今回はスピッツを採り上げたい。つまり、私は強いて言えばスピッツの方にシンパシーを感じているということかも知れない。

そこで今回は数ある彼らの楽曲の中から敢えての10曲を選んでみたいと思う。(括弧内は収録アルバム)

ロビンソン (ハチミツ)
前述の通り、この曲で彼らを知る。全くの新人と思っていたら、それまでに一定のキャリアを積んでいたことに驚いた。今聴いても、心のざわめきと言ったものと云えばいいのか不思議な感情が蘇ってくる。

ハヤテ (インディゴ地平線)
スライドとカッティングになるのだろうか〜いい塩梅にエフェクターがかかったギターアレンジが響き渡る。

言葉はやがて 恋の邪魔をして
それぞれ カギを100個もつけた

楓 (フェイクファー)
最近再注目されているこの曲は当時私が嫌いだったヤツの好きだった曲だ。この曲を聴く度、アイツの嫌味な言動を思い出す。しかし、そんな他人からすればどうでもいい想いを差し引いても余りある名曲であることに変わりはない。今となっては苦笑いの遠い過去の話だ。

これから 傷ついたり 誰か傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

甘い手 (ハヤブサ)
静かなギターリフが、やがて激しいほどのギターソロに進んでいく。
終盤の間奏のロシア語の会話はソ連映画『誓いの休暇』(1959)の一場面だという。
『誓いの休暇』は遥か以前に、NHKか民放かは忘れたが放送されていたのを観た記憶がある。
第二次大戦中の東部戦線で一ロシア兵が戦功により一時休暇を与えられ故郷に帰るという、いわばロードムービーだった。兵士が帰省中に知り合った女性との束の間の心の通い合いが切なく描写されていた。
折しもウクライナ戦争により、ソフィア・ローレンの『ひまわり』とともに注目されてはいるが、単純に反戦映画と位置づけるには少し違和感がある。何故なら、当時はエンディングに「誇りあるロシアの兵士として〜」といったようにプロパガンダ的に謳っていた記憶があるからだ。(ただ曖昧な記憶で不確かなので別の何かと混同しているかもしれないが…)
何れにしても、モノクロームの映像が情感をかきたてた素晴らしい作品だったといえる。

アルバム『ハチミツ』に収録されている「愛のことば」にこんな一節がある。


昔あった国の映画で一度みたような道を行く
なまぬるい風に吹かれて

愛のことば

この経緯から『誓いの休暇』の象徴的なシーンを歌っているものと想像がつく。そして後に具体的に作品に採り入れたのだと。

さて「甘い手」とは、若き男女のめぐり逢いでのやりとりを表現したものだろうか…

くり返し くり返し 楽しみに
日をつなぐ 甘い手で僕に触れて

ホタル (ハヤブサ)
バンドとしてのそれぞれのパートのバランスがとても心地よい。
三輪テツヤお馴染みのギターアルペジオ、田村明浩のしっかりと弾き込むベースライン、﨑山龍男の刻み叩き込むドラミング、草野の絶妙なハーモニカ…
それらが上手く噛み合って生み出され醸し出された珠玉の名曲だ。

時を止めて 君の笑顔が
胸の砂地に 侵み込んでいくよ
甘い言葉 耳に溶かして
僕のすべてを汚して欲しい
正しいものはこれじゃなくても
忘れたくない 鮮やかで短い幻

夜を駆ける (三日月ロック)
三日月ロックが彼らのアルバムの中でベストだ。
この曲の疾走感がたまらなく好きでスピッツの魅力の一つである。
この曲のイントロを聴いた時点で、このアルバムの完成度の高さを確信した。

似てない僕らは細い糸でつながっている
よくある赤いやつじゃなく

水色の街 (三日月ロック)
そしてこの曲が私にとってのスピッツのベストだ。
草野の詞は死生観を表現していると多くの人が指摘している。この曲などはその最たるものだろう。
ただ彼の真意が何処に在るにせよ、私はそこまで読みきってはいない。
生と死の現実は絶対的で相対的なものだが、人の想像(創造)の世界では、その境界は高いものではない。畏怖と救済と云えば宗教的色彩になってしまうが、まさに悩める子羊達の呟きであり、叫びであると私は理解している。

川を渡る 君が住む街へ
会いたくて 今すぐ 跳びはねる心で
水色のあの街へ

ババロア (三日月ロック)
四つ打ちのビートが刻むこの曲がこのアルバムでの彼らの一つの到達点を現している。このアルバムから共同プロデューサーとして参加した亀田誠治のワークスが光っている。

驚いて欲しいだけの 見えすいた空振り
ナイーブで雑なドラマ  

新月 (とげまる)
ピアノとギターのリフが美しい。そこに草野の歌声が加わり、幽玄な世界を創り出す。

それでも僕は 逆らっていける
新しいバイオロジー
変わってみせよう 孤独を食べて
開拓者に 開拓者に

みなと (醒めない)
タイトルは「みなと」なのに歌詞は「港」…この違いに意味があると思わせる。
港とは船が (人が) が出ていき、戻ってくる場所だ。
震災以前と以降の草野の作風に変化があると言及する声は多い。彼自身もダメージを受けている。
旅立った人を残された人が想う内容が震災を連想させるのは至極当たり前に思える。ただ、聴き手のそれぞれの受け止め形こそが、その人のその人だけの人生なのだ。

君ともう一度会うために作った歌さ
今日も歌う 錆びた港で 港で 港で



君はやって来た あの坂道を
かけのぼってやって来た

旅の途中 『三日月ロック』収録


三日月ロック

嬉しさ、愚かさ、哀しさ、醜さ、そして美しさ〜愚直なまでに「人の様」を歌う草野。決して主張しすぎないけれど、しっかりとスピッツの世界を創り上げてきた三輪、田村、﨑山の三人。
彼らの醸し出す音と言葉が、人を励まし、そして癒す…
音楽の大きな役割を、さり気なく表現し続けてきたからこそ、長きにわたって多くの人々に愛されるグループになっているといえるのかも知れない。
そして、彼らのいつまでも色褪せない言葉とメロディーはこれからも私の胸に響き続けることだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?