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それぞれの、開花。櫻坂46 9th『自業自得』MVが公開されて



結論を先に言う
断言しよう
櫻坂46の最高傑作であると。

櫻坂46 『自業自得』


6月3日放送の『そこ曲がったら、櫻坂?』最後のCM枠で、櫻坂46 9thシングル表題曲『自業自得』のティザー(CM)映像が流れた。
私はLemino配信勢なので、直接それは視てはいないのだが、その映像は、X公式アカウントで間を置かずに公開され確認することが出来た。

おそらくイントロになるのであろう〜EDM要素があふれるその音は、ファーストインプレッションとしては、オルタナティブロックのエレクトロを感じつつも、別の側面としてエスニックなテイストも感じられて、私はふと、ギリシャの歌手ハリス・アレクシーウを思い出したりもしていた。

ギリシャと言えば、アー写も何かギリシャ神話の女神たちをモチーフにした構図との指摘も少なくなかった。


それぞれの、開花。FFさんのポストに寄れば、ティザー映像に挿入されている花は芍薬では?とのこと。まさにこの時期の花だ。

さて、これまでの表題曲MV公開と比して、決して遅すぎるということはないのだが、感覚的に待たされた…と感じたのは私だけではないだろう。
結局は、種花お得意の焦らし戦術であったのか?
これまでの私なら「何やってんだよ!ったく〜もったいつけずに早く(公開)しろよ!」と気色ばんでいたところだが、今回は「う〜ん まぁタイムリーな時期を見計らってやればいいんじゃないの⁉」くらいの、おおらかな気持ちを持って構えていた。
それだけ心理的に余裕が生まれている現在の櫻坂を取り巻く状況でもある。間もなくの東京ドーム公演も控えており、そちらへの興味と気持ちの昂ぶりもあるということも大きいはずだ。

しかし、雲行きが怪しくなって来たのが先月31日に聞こえてきた僕青3rdシングル発売延期の報。
このところ秋元グループの作品発売延期という事態が続けて起きていることには、いささかの危惧があった。
メンバーの動向をみても、既にMV制作にかかっているな…と思われる日もあったから、要は、御大の詞の提供が遅れている〜と、推測するのは自然な流れか…
ただ、タイトルはすでに発表しているんだし…まさかね〜とは思いつつも、とにかく推移を見守るしかなかった。


そんなBuddiesの心配をよそに、泰然とMV公開日時をアナウンスし、6月5日(水) 22時に公式YouTubeチャンネルにて、粛々と?MVがプレミア公開された。

それに先立ち、同日0時に表題のストリーミング&ダウンロードの先行配信もされており、この辺は、まさに“用意周到な案”といったところか〜

早速音源を聴いてみた。

配信開始直前に作品データがTLに流れて来たが、いつものことだw

作曲者は中村泰輔。
私にとって彼の作品は、TomoLowとの共作ならいいんだがなぁ…と言うのが正直な感想。
『僕のジレンマ』や、今やライブ爆上がり曲の『マンホールの蓋の上』は私のお気に入りだ。
日向坂の『最後の白夜』もよかった。
まさか『チャンスは平等』は来ないよな?と思っていたが、そこは杞憂( )に終わった。

フルで聴くとティザーでのイメージ以上の世界観が拡がっていく。
アレンジがとてもいい。これも中村が手掛けているとのこと。トラックも手が込んでいる。ほぉ〜今までよりさらに踏み込んで、先鋭な音になっているなぁ…と。
まさに”俺好み“の楽曲で、バチクソかっこいい!
そして歌詞。御大が変にこねくり回さなきゃいいんだが…と思っていたが、こちらもいい意味で”普通“の歌詞だったので安堵した 笑
欅のあの時代と重ね合わせるのは、制作側の狙い通りなんだろうが、純粋に一つの“LOVE SONG”として聴いてもいいと思う。

Betray  裏切りか…
そう〜裏切りと言えば、オジサン世代には甲斐バンドの『裏切りの街角』だな…

しとしと五月雨 わだかまり
君さえ いてくれたならば

甲斐バンド 『裏切りの街角』 


今回の選抜を巡り、松田キャプテンに向けられたノイズは不快極まりないものだった。
彼女にも届いたであろうそれに対して、まつりは自らの歌声で答えを返した。実に痛快だ。
そして天ちゃんの歌声も特徴的に聴こえてきた。
5日は、MVプレミア公開の22時まで繰り返し聴いていた。
こんなことは、かつてないことだ。


さて、MVだ。22時となった。

冒頭の群衆(エキストラ)が交差する動きが、いささかチープに見え「んっ?」となって「さて…どうなのよ⁉」と思った。
法廷か?円形のレイアウトは何やら閉鎖的だが、見方によれば、まるでコロッセウムのようでもある。
何と何が対峙するのか⁉
また、これはどこかで見たことがあるぞ…と思い返してみると、Buddies感謝祭の武道館の円形ステージではないか?とも連想した。

さて今回は「裁き」がテーマなのか?

色調が『摩擦係数』に似ているな…と思ったら、同じ池田一真監督だった。
変に作り込み過ぎてなく、クリアに一人ひとりをしっかり捉えているのがいい。
♫絶対は絶対にないんだ 言ったろう〜からの、村山•的野•松田の並びとそれに続く中嶋のソロカットが特にいい。
そして、円形ステージを囲むかの様な一連の流れがとても美しい。

ただ強いて気になる点を言うと『夏の近道』でも感じたことなんだが、演出の意図とメンバーの潜在的な力量が上手くかみ合っていないように思えた。
山下は当然ながら(セーブしてあれだけのパフォーマンスなのだから…)他のメンバーも含めて、そのポテンシャルに演出が追いついていない感なのだ。
楽曲がいいだけに尚更そう感じてしまった。

結局、TV出演やライブの実際の現場で、TAKAHIRO先生らの強力なサポートを受けての爆発的なパフォーマンスとなって成立するという従来の形になっていくのだろう。
MVに対するダンプラ動画、そして実際のパフォーマンス〜この3つのバランス、兼ね合いが今のところの櫻坂の課題の一つとなっているのだろうか…

しかし、山下の手首の柔らかさと腕のしなやかさは特筆ものだ。
得意のワックで魅せる後半は、もう圧巻である。

さて、私にとって、これまでの櫻坂ベスト曲は『摩擦係数』であった。
もしも、これを越える楽曲が来た!〜と感じたその瞬間からが、私にとっての新たな章の始まりになると思っていた。そして、ついにその時が来たと言える。


もう、二言三言(いや、それ以上?)つぶやいてみる。

これまでのMV作品を振り返ってみて、私も不満や疑問がなかったわけではない。


MVが、“映像作品”として独立しているものであることは確かに理解するのだが、実際の楽曲の表現との連動性•親和性から、かけ離れたものではあってはならない〜と私は思っている。
過ぎたるは及ばざるが如し〜様々な要素を詰め込みすぎると、逆に煩わしいものに写る場合もある。
『なぜ 恋をして来なかったのだろう?』のMVが、どうしてあれほど再生され支持されてきたのかを、今一度押さえておく必要があると思う。
もちろん、ダンスそのものを探求したいのなら、ダンスプラクティス動画を視ればいい〜というのはそれはそうではある。
では、何が言いたいのかと言えば、ハードスケジュールに紛れて「作品のクオリティー」を保つことが果たして出来ていたのだろうか?…と疑問に思う場面がいくつかあったということだ。
『何歳の頃に戻りたいのか?』のメンバー解説付きミニラ配信の中で、田村保乃が言っていたのだが、TAKAHIRO先生が、いつもなら振り入れに与えられた時間が数時間に限られているところ『何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』の時には3日間も与えられたと喜んでいたと紹介していた〜つまり、いつもは、かなりタイトなタイムテーブルで現場は進行しているということが逆にうかがえた。これも一つの事例だろう。
せっかくのクリエイター陣のアイデアを十分に活かしきれないことになっているとすれば、これほどもったいないことはない。

もちろん、忙しいというのは大変ありがたいこと。
その一方で形として残っていくMVは、各種の指標としての重要性が高まっている中に於いては、特にエネルギーを傾注すべきコンテンツであろう。

グループが勢いよく坂道を駆け上がっている時に、水を差すようなことを言って恐縮だが、関係者各位•制作陣には、今一度「油を注せ!」と申上げておきたい。
(上手いこと言ったつもりなのでエラそうなもの言いは何卒ご容赦願いたい 笑)


今回のARENA TOURを何故3月に集中させたのか?様々な要因や意図があるのだろうが、私の理解としては、BACKS LIVEなどがあったにせよ、ドームまでに一旦活動を落ち着けて、9th制作を優先させたのではないか〜そう考えてもいる。
そして表題曲を聴き、MVを視た段階ではあるが、その答えがもう出ているな…と思っている。



https://www.sony.com/ja/SonyInfo/IR/library/presen/business_segment_meeting/

ソニーグループの2024年事業説明会資料においても「継続的なファンダムグループの創発」として櫻坂46の名が挙げられている。
未だ“ファンダム”の呼称には慣れていない私ではあるが、やはり科学的に系統だって推し活も進めていく必要性は感じている。
ただ、余りに情報に振り回されるのは如何なものか?とも思うし、先ずは自分自身が「好きな音楽と映像を自分のペースで楽しむ」ことが大事だろうとは思う。〜 I think so
 

MV再生への課題が指摘される中で、やはり見続けられる作品を期待したいのは当然のことである。
結局、核となる層が機械的に”回した“だけでは自ずと限界があり、いかに多数のライトユーザーと有機的に結びつき、継続的に視続けられるよう働きかけ、その機会をいかに提供出来るかに尽きるのだろう。
その層に訴求していく機会を確保する術については『咲かす会』をはじめとした人たちが提起しているのは承知している。
私は、それらのムーヴを一定支持しつつも、この9thではMVが広く多くの人に視聴されるとはどういうことなのか?を技術論だけではなく、ある意味、少し引いた形で視てみたいとも思っている。


9th発売とドーム公演を控え、Buddiesのかつてないほどの熱い想いがグループ周辺に満ち溢れている。
中にはヒートアップしすぎているムキもなきにしもあらず〜だが、周囲に迷惑をかけていないのなら、それもまた良し。
情報•意見交換で交流を深め、時に試行錯誤しながらも経験と知見を重ねていく。
それが結果として、グループへの有形無形の貢献となるのなら意味のあることだろう。

グループとしても正念場だが、我々Buddiesも試されている期間であるとの自覚をあらためて持ちたい。

それにしても『自業自得』
いい作品だ。

THANK YOU  SAKURAZAKA46!
東京ドームで逢おう!


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