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アニメ『スーパーカブ』はなぜ荒れた?その炎上理由と“イメージ”という考え方について

 2021年4月から放送されているアニメ、『スーパーカブ』。
 本作は主人公である高校生の女の子小熊が、変わり映えのしない日常の中でスーパーカブ(原付バイク)と出会い、これまで平坦だった人生の色彩を見つけていくというアニメ作品です。

 本作は放送された当初から、女の子✖️バイクというコンセプトと丁寧な作画描写により、バイク好きにはたまらない作品として人気を博していました。

 しかし、5月12日に第6話「私のカブ」が公開されると、瞬く間にネット上に批判の声が上がり、制作からの正式な説明が求められるような事態に。

 その理由は、「アニメ内において主人公とその友人が、道路交通法を犯していた」から。

「え、フィクションなんでしょ?」
「現実と創作の区別がついてないんじゃないの?」
と、多くの方がそう思われるでしょう。

 では何故、『スーパーカブ』は法律違反という理由でファンからのバッシングを受けることになってしまったのか。

 本記事では、世間からは切っても切り離せない“イメージ”という考え方と絡めて考察していきたいと思います。


問題の回、第6話について

 最初に、炎上の原因となった第6話の問題のシーンについて解説していきます。

 以下あらすじ
『冒頭、高校の修学旅行を楽しみにしていた小熊。しかし当日、熱を出して欠席の連絡を入れてしまう。
 その数時間後に熱が下がり、欠席してしまったことを後悔した小熊は、ふと自分の原付バイクを見ると、自力で旅行先に赴くことを決意。
 無事学校の予約したホテルに着くことが出来た小熊は、その翌日、自由時間に抜け出し、友人の礼子と共に2人乗りバイクで海沿いのドライブを楽しむ。』

 ネットでの批判の対象となっているのは、このあらすじ内における『2人乗りをした』という描写について。

 原付バイクの2人乗りの条件について、日本の道路交通法では大まかに以下のように定められています。

①小型限定普通二輪免許を取得してから一年経過していること
②タンデムステップやクラブバー、シートなどの二人乗り用装備がされていること
③ヘルメットを着用していること



アニメ内では、②と③については遵守されている描写がありましたので、違反を疑われているのは①についてになります。

 主人公の小熊が小型限定普通二輪免許を取得しているのは、第6話冒頭にて明かされています。
 しかし、その直後に修学旅行先にて2人乗りをするシーンがありますので、「免許取得から一年経過していないのでは?」という意見が挙げられました。

 「免許の取得から一年経過しているかどうか」についてですが、これはアニメ内の描写だけでは判断できません。

 冒頭の小熊の独白による免許取得の話は、シーンとしては独立しています。
 具体的な日付や取得時期の情報は含まれておりませんので、例えそのすぐ後に2人乗りのシーンがあったとしても、明確に一年経っていない!と断言することもできないのです。
 (同様に一年経っていると断言することもできません。)

 ちなみにアニメだけでは判断できないこの2人乗りですが、原作であるライトノベルでは、小熊は違反行為であることをきちんと自覚しています

 原作では違反行為であることを認めていますが、しかし今回炎上しているのはあくまでテレビアニメ版のお話。
 原作から多少の改変も加えられておりますので、原作の描写がアニメでの違反行為の証明にはならないでしょう。

 要するに、「違反行為をしている可能性もあるが、断言はできない」ということになりますね。


『スーパーカブ』は”リアル“なアニメ

 前項で解説したような違反行為についての意見は、正直なところフィクション作品に対する批評としては「細かすぎる」気もします。

 では何故、そのような細かい部分に視聴者の目が引き寄せられたのか?

 それは、『スーパーカブ』というアニメが非常にリアリティを大切にしているアニメだからです。

 アニメ内に登場しているバイク«スーパーカブ50DX»は、製造販売している会社ホンダが協力、監修していることもあり、細部まで綿密に描かれているのが特徴です。

 また、バイクから出るエンジンやギアチェンジの音も実際のものを使用しています。

 その他のカブに関する初心者トラブル、部品の交換や改良、装備の換装に法律の描写などなど・・・。
 バイク乗りならば「そうそう」「あるある」と頷いてしまうようなリアルなバイク事情が、丁寧に表現されているのです。

 “フィクション”の中に“リアル”を埋め込むことに長けた作品であったからこそ、今回のような現実に即していないシーンが浮き彫りになってしまったのでしょう。

 綺麗な宝石であればあるほど、小さな傷も目立ってしまうということですね。


「イメージと違う」は致命傷

どれだけ現実の法律と照らし合わせても、どれだけリアルであろうとも結局はフィクション。法律違反なんてどうでもいいじゃないか。

 冷静に、客観的に見ればそういった意見が挙がるのも当然です。実際、この作品のファンであっても、第6話の描写を気にしない方は気にしないでしょう。

 しかし、そんな“正しい意見”が通用しない、人間社会において非常に重要な考え方があるのです。

 それが、“イメージ”です。

 『スーパーカブ』という作品は、バイクに関してのリアルな表現はもちろん、主人公の可愛さやそのストーリーの和やかさから、日常系アニメとしても親しまれていました。

 女子高校生の等身大の学校生活を描き、決して身の丈に合わないような大それたことはしない。
 自分の手の届く範囲内で、ほんのちょっぴりの非日常を最大限楽しむ。

 穏やかで優しい物語は、法律違反のような悪質な行為とは無縁のものでした。

 だからこそ、微かに入った亀裂によってその“イメージ”が崩された時、視聴者の心に多大なショックがもたらされたのです。

 「たかがそれだけで・・・」と思う方もいるかもしれません。
 しかし、我々が想像するよりもずっと、“イメージ”というものは人間の価値観に深く大きな影響を与えるものなのです。

■”イメージ“と真実のギャップ

 例えば、国民的アニメ『ちびまる子ちゃん』で、主人公のまる子が突然人殺しを始めたらどう思いますか?

 当然フィクション作品ですから、まる子が人を殺すこと自体は現実の法には触れません。
 しかし、例え深夜の子供が見ていないような時間帯に放送したとしても、世間からの批判は免れないでしょう。

 それはひとえに、「まる子ちゃんというキャラクターのイメージに反する」からです。

 まる子は確かにお調子者で怠けがちであり、少々皮肉屋なところもあります。しかしその根底にある思想は善良なものであり、決して他人の命を弄ぶような性格ではないでしょう。

 また、『ちびまる子ちゃん』はさくら家の平凡な日常を描いた作品であることから、人殺しのような悪辣で非日常的な行為は作品のテーマにそぐわないというのもあります。

 “イメージ”に関して、もっと身近で考えやすいもので例えるならば・・・
 突然、「実はゴキブリはとても栄養価が高くとてつもなく健康に良いので、みなさん家にいるゴキブリは捕まえて食べましょう!」と言われたらどう思いますか?

 それが事実であり、加熱すれば身体に害するような菌は全て無くなる、と言われても、食べたくないですよね。

 それはやはり、一般的にゴキブリは汚くて気持ち悪い、という“イメージ”があるからです。

 さらに、非常に優良なサービスを提供してくれると噂の企業が、本社のビルには落書きだらけ、エントランスはゴミだらけ、受付の態度は最悪であったら?

 絶対に暴れないはずの動物が、大量の鎖に繋がれ、頑丈な檻の中に収容されていたら?

 世界を救ったヒーローとして紹介された人が、頭皮は脂でギトギト、フケがこびりつき、常に息切れしながら贅肉を揺らしているような人だったら?

 あなたは見た目や周囲の評価に左右されず、真実のみを正確に受け取ることができますか

 このように、”イメージ“とは形のないふわふわしたもののようでありながら、確実に我々の行動や価値観に影響を与えているのです。

 逆に、”イメージ“と事実が合致している事柄であれば、我々は比較的簡単に物事を受け入れることができます。

 また国民的アニメで例えるなら、『名探偵コナン』という作品。

 こちらの作品では毎回のように殺人が起こり、その事件を解決する物語となっています。
 しかし、コナンを観ていて「殺人なんて悪いことだ!」と批判の声を挙げる人は少ないですよね。
 また、主人公やその他の登場人物が、暴力や許可のない薬物投与を行なっていたところで、「違法行為だ!」とわざわざ指摘する人も少ないと思います。

 それは、ひとえに「そういう物語だから」という共通の“イメージ”があるからです。

 万引きの常習犯が、また新たに万引きを行ってもあまり驚きません。

 安くて手頃なお店の服が直ぐに破れてしまっても、意外だとは思いませんよね。

 我々は人や物に出会った時、一番最初に自分の中で、目の前のものに対する“イメージ”を作り上げます。
 そしてそれが現実、真実と一致していることを確認できると、「あ、やっぱりそうだよね」と安心することができるのです。

■『スーパーカブ』における認識のズレ

 上記で説明したように、人は自身の“イメージ”と真実にギャップがあると戸惑い、拒否反応を示します。
 逆に一致していれば、どんなものでも比較的素直に受け入れることができます。

 そのことを踏まえ、改めて『スーパーカブ』の炎上理由を考えると、その原因が理解できるような気がしませんか?

 第6話では、それまでのお話で視聴者が築き上げてきた「ほのぼの」「優しい」「可愛い」といった“イメージ”を、違法行為というギャップで崩してしまったのです。

 たとえそれが、フィクションの世界においては些細なものであったとしても、確かにショックを受け驚いた人たちがいたということです。

世界は善悪や法律ではなく、“イメージ”で回っているといっても過言ではありません

 物事の正しい、正しくないに関わらず、「“イメージ”と違う」というのは世間からの評価を最悪にまで貶めます。

 そのため、客観的に考えれば問題のない創造上の違法行為が、最終的に大きな炎へと燃え上がる結果となってしまったのでしょう。


まとめ

 いかがでしたか?
 この記事では、アニメ『スーパーカブ』がフィクション作品であるにも関わらず、法律違反という理由で炎上してしまった原因を考察してきました。

 人間は、人や物事に出会ったとき、一番最初に自分の中で“イメージ”を作り上げます。
 その“イメージ”が事実、真実と一致していることで安心感を得ることができますが、逆にギャップを感じてしまうと途端に拒否反応を示します。

 『スーパーカブ』の第6話では、視聴者がそれまでに築き上げてきた作品に対する”イメージ“を壊してしまったからこそ、批判という形で拒否反応が出たのではないか、と筆者は考えています。

 このような、人によって意見が分かれるような事柄を突き詰めていくと、人間の本質が見えてくるような気がしますね。

 私のこの考察が、少しでも皆様の疑問の解決に役立ったり、興味を引く結果になったりしたのならば幸いです。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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