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自分にとって大切なこと

私にとっての「自分にとって大切なこと」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは、

『自分をいかに偽らないか』

と言うフレーズがしっくりきます。

それは、飾り立てた上辺だけの本質に程遠いものであったり、とにかく『本音』でいかに自分と対話できるか。そこにいつも注力しながら生きてるような気がします。

それは難しく大袈裟なことではない、とても小さなことから。

いや、もとい。

逆に自分にとっての『小さな違和感』を気にすることが出来なくなった時が、私にとっての要注意なのかも知れません。

なぜ要注意なのか。これまでの経験からまず運が味方をしてくれなくなります。「どうしてこんなことが起こるの?」と言う不都合なことが何故か起こりやすくなります。

恐らく自分がイライラしてる波長が伝播して、チューニングが合い、同じような出来事を呼び寄せてしまう気がします。

例えば、今この記事をタイピングしていますが、その時に感じる『小さな違和感』として、


・椅子の座り心地が若干気になる

・姿勢が猫背気味になってきている

・目が少し疲れてきた

こんな些細な違和感を無視しないようにしています。

これを無視し続けると、どうなるか?

この違和感をずっと感じた状態で、例えばこのタイピング中に周りの人に話し掛けられると、私はイライラしているので、今集中している時に横からフイに来られると、更にイライラします。本心でその人の話しに優しく対応することが普通に難しくなりますよね?


これは前回の記事にあげました『自分と親友になる』テーマでもお伝えした『自分をまずは一番に大切にする』と言うことが根底にあるからかと思います。


私は、とにかく争いが嫌いで、誰とでも仲良く繋がりたい野郎の

生まれながらの、『どうしようもない資質』が『まわりを笑顔に穏やかでいてもらいたい』となります。(聴こえが良いのですが、要は何のことはなく、これは究極私のためなんです笑笑)

その為にはじゃあどうするか?

順番として、隣の人にエネルギーを分け与えるには、

まず、自分が満たされていて幸せを感じていなければ、周りに良い影響など与えることができず、

仮に、自分が辛いと感じている状態で、

無理やり人に与えようとすると、本当の意味で与えることが出来ず、それは時に「自己犠牲」になってしまうからと言うことが、自分の中でハッキリと明確になっているからだと思うのです。


つまり結果的に、『自他共に豊かに感じる状態』(winwin・三方よし)を意識しているみたいです。

だから人に優しくあれとするならば、

人に優しくする上で、まず自分。

その次に人なんです。

そこを逆に無理にやると上手くいかない。

人に優しくと言う成果(?)を実現するなら黄金の順番はまずは自分。そして他人。

自分が満たされていることが前提にあると思っています。


仮にめちゃめっちゃ空腹状態で、3日も飲まず食わずで、目の前にパンが落ちていた。

そこに人が通り掛かった。その人もお腹を空かせていた。

お互いの手がパン同時にに伸びる。

「私、昨日から何も食べていないんです」とその人は言う。

『(いやいや勝ったと。こっちは3日だ)』と思った。

思ったが、ここは人に優しく そのパンを笑顔でどうぞ・・・・


って正直あんまりならないと思います笑笑

目が霞んできてる状態で、他人に与え譲るとか100万年に一人の聖者だったら出来るも知れませんが、その状態状況では、私は無理です笑

脊髄反射でそいつをどかして奪い取り口に入れますねw

100億歩譲って仮に出来たとしても、立派な自己犠牲で自分に対する偽り行為です。

綺麗ごとを語る気は一切ありません。なぜなら、自分に本音で生きたいからw


特に日本は、自己主張と言う行為が時として「あいつはワガママだ」と、指差され、中々許されにくい風潮がある中で、

『嫌なものは嫌!』

とは言いにくいは十分に頭で理解しながらも、

一方では大いに自分のことを尊重し、時に甘やかし、時に厳しく律しながら、基本大切に扱うことが上手に出来る人が『私にとってのデキる人モデル』のような気がします。

私なりに自分にとって大切なこと自分を偽らないこと』。

→『自分を偽らないとは『自分の小さな違和感を見逃さない』

→ 平和が好きなので、(自分の為に)他人に笑顔でいて欲しい

他人に笑顔でいてもらうには、まず自分が笑顔でいること

→ だから、小さな違和感を見逃さない(=自分を偽らない)


改めて端的に表現するとこうです。

まず自分のエゴを満たしながら、次に人を笑顔に愉快にしていく。そうすることで世界に豊かさが循環する。

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