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8050問題。雌伏の時:至福の時?自由を手に入れたら...

 小生は反抗期も無く、何もかも母親の「あてがい」で生きて来た。大して文句も言わず。欲しがる前に何もかも用意され、小生の部屋着に至るまで母親は用意した。だが母親の曰く「缶詰を持って嫁に来ようとした」料理は上手ではなく、基本まずい食事を食べて育って来た。その代わり薄味なので現在も小生の身体面での健康が維持されているのはそのお陰だと思う。
 おいしいもの(味の濃いもの)は外食や外泊で覚えて来た。後はインスタント食品。飽きるけどおいしい。

 社会人になり就職で大阪へ出た時は、自由を満喫出来ると思ったし「洗脳施設」を脱出してから約二年程独り暮らしをしたのだが、実際この時が一番「自由を満喫出来た時期」だった。洗脳施設では「出来の悪い人々・勝手な事をする人々・こっそり他人のモノを拝借したり盗んだりする人々」と一緒くたにされた。この時点では「家や家族の心配」など想像だにしなかった。

 独り暮らしをしている時は、仕事の他は「寝るだけ」で時間は消費された。折角大阪へ行ったのだから甲子園球場へ野球観戦へ行くとか梅田を遊ぶとかやってみたかったのだが、土日祝は起床したら昼の二時というパターンばかりで消費してしまった。だが、仕事が終われば「今日は寿司でも食べようかな」とか「今日はあそこのラーメン定食だな」とか食事を選ぶのは自由だったし、ボロアパートの一室でSFCのファイナルファンタジーをプレイするのが何よりの楽しみだった。仕事をしているからおカネの心配は無い。「自由」だった。
 とか考えると小生の場合は「週休三日」という勤務形態じゃないと駄目かもしれないとか今更ながら思っている。

 こんな小生だが、現在は8050問題の当事者だ。9060問題の当事者になるのかもとは思ったが、同居の母親は一か月ほど前に入院をした。
 現在母親は退院をして、相変わらず小生は「あてがい」で過ごしているが、母親の入院中に独り暮らしをしてみて、独りになったらどうしようかなと考えた。母親のいなくなった喪失感は想像出来ないくらい大きいだろう。想像も出来ないんだから想像しないで「自由になった」自分を想像した。

 何かワクワクした。ワクワクの元は「家や家族などから解放される」小生は大阪の仕事で体調を崩し、家にいるようになってからずっと家と家族に縛られて来たのだ。両親が長男長女の三代目。祖父母は長寿で小生は無職。ちょっと古い価値観ではあるがよく考えてみればこういう環境に嫁に来る殊勝な女性は稀有だろう。

 で、まぁ現在同居の母親は一応健康を取り戻して生活をしているが、食事は弁当が多くなった。あと10年くらい生きていて欲しいと思うが、独りで自由になった自分をあれこれ想像している。

 上記環境で育っている小生は質素でという条件付きだが生活出来るカネは多分何とかなる。
 生まれ育った生家は人気の地域なので、売れる。売ってどこに行こうか。経済的にとか考えるとどこが当たるか解らない公営住宅くらいだろうか。

 何もかも取っ払って多分小生は生まれて初めての「自由」になる事を想像して、ワクワクはするが手に入れた自由で何をしようかと考えると、大した事が思い浮かばない。

 小生が自由を手に入れたら きっとひたすら 寝るだろう。

 介護施設で働いた時、高専賃で暮らすおばあさんがそんな感じだった。

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