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越後博之、noteはじめます

はじめに

はじめまして、越後と申します。

きょう2022年1月26日で、自分のWebサイト(ホームページ)を公開してから25周年なのです。25年前、私はまだ中学生でした。「完全戦国年表」は途中移転を挟んで公開25周年め、「MACHIDA PC MAP」は途中私が東京を離れて公開していなかった時期があり勤続25年ではないのですが、同じく25周年ということになります。

こうキャンセルカルチャー旋風が吹き荒れる昨今、世間の考え方が現在と異なり、コンプライアンス観点でも2022年とは違う時代に書き散らしたサイトを公開し続けるのはリスクがあります。しかし、中学生・もしくは高校生の時分に書いた割りに今でも考えは変わっていないなという文章もあり、確認はしつつも記録として残しています。アーカイブとして残していることで、某ネット掲示板に「当時のことならこのサイトを見れば良い」と参照してもらえることも多いです。Cool URI・パーマリンクの考え方以前から、コンテンツは極力残して維持した方が良いという考え方は「完全戦国年表」を通じて勉強した歴史学に依拠している気がします。

noteで書きたいこと

Googleで私の名前を検索(エゴサ)すると、論文の著者名でちらほら出てきます。大学&大学院では学会発表や論文投稿もしていたので、実名での過去履歴がべったり残っています。ネットでは匿名であるべきという風潮の中、修士(博士前期)に進学すると実名がネットに残ってしまう…大学院はカタギじゃないねえぜって与太話を思い出します。「MACHIDA PC MAP」を閉じたのは私が首都圏を離れて岩手に転居したためで、実名必須とされていたASAHIネットの活動と、岩手の公立大学で岩手県をフィールドに研究活動に従事していたのが私の実名での活動になります。

私自身、岩手に行ってはじめて「ローカル」というものに強く意識した気がしています。大学生なので、夕方のテレビニュースを見る時間があり、全国ニュースのパートが終われば全局岩手のローカルニュースのパートになる。それでさらに岩手の各地を歩いて、いろんな人の話も聞いて、東京育ちの街の中で育ったのと違うことを見聞きし、体験してきました。それらは、町田経験も相まって、複層的に私を形作っています。

中学生の時・高校生の時に見抜いていたこともあるのですが、そろそろと中年と言われる年頃になって、改めて同じ題材について言及してみるのも良いかなという次第です。

「町田PCマップ余話」

町田については、「MACHIDA PC MAP」の更新を控える宣言をしたときに「パソコンが町田に認められた」的なことを書いており、高校生にしては全てを見抜いていたかのような洞察で、この内容の通りなのです。大型商業施設が席巻している件については、ソフマップ西友町田店閉店時に「町田こそ構造改革に成功した街なのだ」と言及しています。このあたり、都市論…否、そこまで大がかりでなく、東京都下生まれ&首都圏育ちとしての展望をこのnoteでたらたら書いてみようかと思っています。

やはり、町田という街をこの「MACHIDA PC MAP」でPCを通して歩いたことが、街づくりを考えるときの私のスタートなのです。生まれた吉祥寺、海老名・大和・横浜あたりにもそれぞれ影響を受けているのだけど、ここまで向き合ったのはやはり町田ということになります。そのあたり日本全国歩いたいまだから書ける町田論、小田急沿線について、東京都下、少し1990年代の町田の思い出話などが出来ればと思います。

「個人歴史サイトの時代(仮)」

「完全戦国年表」については、20周年企画として21年目の日に全面リライトをしており、その後違う時代に拡充する行為をしてたせいもあってあまり本体の更新が出来ずにいる状況です。ただ、20周年の時にはまだ残存していた、「個人歴史サイト」がこの5年で急速に消えていったこともあり、少しばかり「1990年代の歴史Webサイト」についてまとめてみておいたほうがいいかな、と思い始めた次第です。そんなわけで、"町田PCマップ余話"のあと、"90年代の戦国時代ホームページ"について複数記事書いてみようかと思っています。

おわりに

更新頻度は月1程度を予定。12記事くらいに収まるかなーと思っていますが予定は未定です。

モノを書く気力と時間がなくなった、とは思うのですが、書き始めたら出てくるoutputは25年前とは桁違いで、本気が出れば年相応なのだなとは感じます。残念ながら、その気力がつきかけているのですが(苦笑)

ということで、しばしの間、思い出話におつきあい頂ければと思います。

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