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推しを通して己を知る。②

ナムペン楽しくないマインドな私に決定的な出来事が起きた。

女性アーティストとのコラボ。

初めは、正直「へ〜」としか思わなかった。
誰かとやるんだー、だけ。
コラボ相手を深掘りしたいとか、なんなら「楽しみ!」といった感情もなかった。
(花粉症がひどくて、余裕がなかった。)

そんな半無関心な心境が変わる。

コラボ相手のアーティストのインタビュー記事。リアコ脳の私の触れてはいけない琴線にバチバチ触れる内容だった。
詳細を書くと悪口が出てきてしまうからやめておく。
とにかく、その女性アーティストとのコラボが私にはきつかった。

「ナムジュンが好きなことやれてるんだからいいでしょう」
「推しが幸せそうで嬉しい」

私にはそんな寛大な感情はなかった。
推しが幸せそうなら幸せなのか。
私は違う。楽しくない。
見たくもないし聴きたくもない。

「なんかもう無理だな。つまんないな。
降りようかな。」

楽しくない毎日は送りたくなかった。
人生折り返しにきている。
楽しくない時間がもったいない。

ひとまず見たくないものも否応なしに入ってくるTwitterを離れることにした。
私と人生のほとんどを共にしている幼なじみアミ友に現状を伝えたら「贅沢な悩み」と一喝されたりもした。
(自分は結婚してるのに推しの幸せに嫉妬するのは身勝手とのこと。)
ナムが好きなだけなのに、なんか勝手に傷ついたりして「推し活」ってなんなんだろう。
こんなに難しいことなんだっけ?と、精神世界の樹海に迷い込む。

———自分を守らなきゃ。

結局、難しくしてるのは自分自身。
推しとは意思疎通ができるわけではないから、一人相撲。

2.3日バンタンから離れた。
聴かないし見なかった。
聴きたいとも見たいとも思わなかった。
楽だった。
たった数日離れただけで、だいぶ元気になった。
と同時に、ナムジュンに対する気持ちにも変化があった。

(③に続く)

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