昨夜のホンマでっかで 「三日坊主の人は完璧主義者が多い」 と… 対極にある質だとおもっていた 三日坊主、飽きっぽい傾向は 適当な生き様だから そうなんだろうと思っていた かつて言われた言葉を 思い出した 「◯◯は完璧主義だからね…」w ん?わたしがか? いやいや〜 ほこりじゃ死なないと思ってるし 靴脱いでまっすぐ置いてなくても 大丈夫だし 本棚は規則性ないしさ 私からは縁遠い言葉だよ~と 思っていたのだけど 昨夜、解説を聴いていて 「こりゃ…あたしだな」と痛感 WEBで定
だれかの後押しや 笑顔の同調や 見知らぬ方々の多数意見とか なにかしら小脇に抱えないと 今 この一歩が不安だと 歩めずに 歩めずに? 歩かずに…? 魔法のように 目の前の些細な選択でさえ 援護射撃でClearしないものかと 佇む 君よ これまでの生き様のなかで 心優しき大人に 守られ 愛しまれた 未来ある君よ 生きることは 選択の繰り返しなのだよ 何を食べるか どの扉の先を行くか ちっちゃなちっちゃな 取るに足りない選択の積み重ね 舵をとるのは この私 自分なのさ 進んだ
定められた年と書いて「定年」 定めた人は誰? 人か?社会か? 時代か? そんなお年頃になりつつも ご時世が定めてくれない まるでゴールの様に掲げられていた すごろくのあがりが 振り出しに戻されたかの様に 闇の向こうに逃げていった 彼の定年は5年先に定められた フルマラソンを走りきって スタジアムに入ったのに テープは用意されてなくて またロードに5年分のコースが 作られていた 来月の誕生日で 花束を貰って帰宅して 「おつかれ様でした」なんてさ ドラマみたいなシーンに自分