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翻訳:ジュディス・バトラー「パレスチナ人はイスラエルと合衆国から人と見做されていない」

本稿は 、ジョージ・ヤンシーによって2023年10月31日に TRUTHOUT で投稿された対談の日本語訳です。翻訳と公開に当たっては、TRUTHOUT から許可を得ております。
Copyright, Truthout.org. Reprinted with permission.

https://truthout.org/articles/judith-butler-palestinians-are-not-being-regarded-as-people-by-israel-and-us/

対談者紹介

ジョージ・ヤンシー(George Yancy)はエモリー大学の教授で哲学者である。

ジュディス・バトラー(Judith Butler)については、本文中に紹介があるのでそちらを参照されたい。彼女の著作には、日本語訳が出版されているものもある。

ジュディス・バトラー「パレスチナ人はイスラエルと合衆国から人と見做されていない」

ジュディス・バトラーが即時停戦とパレスチナ人の帰還権、そして植民地支配構造の解体を訴える

以下、ジョージ・ヤンシーによる前置きからはじまる本文。なお、【】内は訳者による註である。固有名詞については、日本語訳がある書籍や日本でもいくらか知られている人物については日本語で表記し、そのほかは英語のまま記し適宜簡単な註を入れた。

イスラエル軍は、今や8300人以上【11月14日現在、死者は11000人を超える】をガザで殺害し、その内少なくとも3400人以上はパレスチナの子供たちである。そして、ガザの人々の十分な食糧、飲用水、有効な医療へのアクセスをイスラエル軍が遮断し続けているため、何万もの人々が死に瀕している。アメリカ合衆国国務省は、脆弱な免疫機能しか持たない6カ月以下の乳児3万人が現在ガザで汚染水を飲んでいる、との推定を報告している。イスラエル軍がガザの電話・インターネット系統を遮断して作り出した音信不通状態を隠れ蓑として、イスラエル軍は地上侵攻を拡大し続けている。【通信遮断によってガザ内部の状況が伝わってこないとしても】こうした状況がもたらす病気と飢餓とが飛躍的に死者数を増加させる様は、想像するだに恐ろしい。

10月7日にハマースの軍事部門がイスラエルで1000人以上を殺害し数百人を人質に取り、そしてイスラエルが現在進行形の大量殺戮作戦を開始して以来、私は深い心痛を抱えている。ガザの人々が直面している、これだけの死、破壊、追放、迫害、そしてジェノサイドを前にして、私は吐き気を催している。愛するわが子を眺めるとき、私は恐怖とともに3400人のパレスチナの子供たちのことをも想うのである。彼らの柔らかく脆弱な体は引き裂かれ、瓦礫の下に埋められているのだ。子供がテロリストであるものか!彼らは、世界の他のどの子供とも同じように尊いのである。私にとっては、パレスチナの子供もイスラエルの子供も同様に尊いのだ。

この心痛と恐怖に直面して、私には対話が必要だった。必死なまでの会話である。そうして、哲学者のジュディス・バトラーを頼ったのだ。省察を得るためだけでなく、我々が共有する痛みと怒り、そして同じく共有する、暴力の終焉への献身のために。アメリカの傑出した哲学者、バトラーはカリフォルニア大学バークレー校大学院でも指折りの教授であり、Europian Graduate School にてハンナ・アーレント記念研究室長を務めている。バトラーは多数の影響力ある書籍の著者で、『非暴力の力』、『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』, Precarious Life, Notes Toward a Performative Theory of Assembly【脆弱な生―哀悼と暴力の力】などを著し、最近の著作にはWhat World Is This? A Pandemic Phenomenology 【この世界は何なのか?パンデミックの現象学】がある。

バトラーはまた、Jewish Voice for Peace【平和を求めるユダヤ人】の諮問委員でもある。Jewish Voice for Peaceは、最近もバイデン大統領への公開書簡にて「イスラエル政府がアメリカの支援を受けて行っていることへの反対」を表明し、合衆国政府に「即時停戦を求める」よう訴えている。

ジョージ・ヤンシー:

ジュディス、私はあなたの本について考えていたのです、Precarious Life: The Powers of Mourning and Violence【脆弱な生―哀悼と暴力の力】について。この本であなたは次のように書いていますよね。
「[原註、パレスチナ人の苦しみについての]彼らの心痛と憤怒を表明する者は、誰であれ(その発言の後で権力ある「聴衆」から)反ユダヤ主義的【原語はanti-Semtismだが、文脈を勘案して反ユダヤ主義とした。以下同様】だと見做される、と事実上言ってしまえる。これは、反ユダヤ主義の罪状で脅しつけて、どういった種類の言説が公共圏で流通するかを統制しようと試みることである。また、どんな進歩的な人間も下されたくないような、理不尽な断定の戦術的使用をもって、恐怖の風潮を生み出そうとすることでもある」

「[原註、パレスチナ人の苦しみについての]彼らの心痛と憤怒を表明する者は、誰であれ(その発言の後で権力ある「聴衆」から)反ユダヤ主義的【原語はanti-Semtismだが、文脈を勘案して反ユダヤ主義とした。以下同様】だと見做される、と事実上言ってしまえる。これは、反ユダヤ主義の罪状で脅しつけて、どういった種類の言説が公共圏で流通するかを統制しようと試みることである。また、どんな進歩的な人間も下されたくないような、理不尽な断定の戦術的使用をもって、恐怖の風潮を生み出そうとすることでもある」

イスラエルに対して―特に今の時期に―何らかの批判や疑問を呈すると、自動的に反ユダヤ主義と見做されてしまうようです。これは、戦略的にイスラエル政府を批判から守りたい人々が行うもので、彼らは反セム主義とイスラエル政府への正統な批判を同一視する方法を用います。ガザのパレスチナ人への苛烈な爆撃の最中、アメリカでパレスチナ人の権利を代弁する人々は、言語的物理的のハラスメントに晒されるのです。殺害予告を受ける人すらいます。これは、イスラエルの占領下にあるパレスチナ人が歴史的に、また現在でも被っている残酷な扱いを否定することで生じた、醜い「マッカーシズム的」【ここでは赤狩りを例に引いている】状況です。この状況は、全ての人間の苦しみを想うあらゆる人にとって不利なものです。

「保守的な生徒に左翼的プロパガンダを教え込み、また生徒を害しかねない急進的な教育を実行している」との理由で、私はかの悪名高いProfessor Watchlist【監視対象の教授リスト、アメリカの保守団体が運営するウェブサイトで、左翼的言動の教授をリスト・アップしている】にも登録されました。世界システムによる暴力、苦しみ、迫害、そして我々が生きる暴力的な世界の状態を改善するための根本的な愛の必要性、こういった事柄の意味を理解するよう生徒に教えること、これが生徒を害するというのなら、ええ、私は罪状通りに有罪です。

イスラエルによるパレスチナ人に対するアパルトヘイトの実行は、パレスチナ人を恒久的に貧しく、不安定で、危険な状態に置いています。このアパルトヘイトの中でパレスチナ人は拷問され、殺害され、拘禁され、そして家を破壊されているのです。そして誰かがこれを批判しても、その人を反ユダヤ主義的だと言う理由にはならないでしょう。我々自身の生が攻撃的な国家の支配権の下に置かれ、そしてその国家は我々が食事をするか否か、清潔な水を飲むか否か、病気の治療を受けるかどうか、生きるか死ぬかを決められるほど強力である、そうした恐ろしい忌むべき状態に置かれたい人はいません。イスラエルがパレスチナ人に働く不正義への、正当かつ必要な批判を捻じ曲げて反ユダヤ主義にすること、これを論理的に考えると、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチ、イェルサレムを拠点とする人権団体 B’Tselem をも反セム主義として認めることに他なりません。これらの団体にしても、「[原註、イスラエルの]国境の中でも、また占領地域においても」パレスチナ人が生きる強権的アパルトヘイトの状況を認識しているのですから。

反ユダヤ主義という概念の武器化は、イスラエルを称揚しパレスチナ人の権利を否定するか、または反ユダヤ主義と呼ばれることへの恐怖から黙り込むよう強いる文脈を生み出します。ジュディス、あなたも私も、ハマースがイスラエルの市民に対して働いた暴力への反対は明示しています。特に人命に関しては、我々はイスラエルのユダヤ人の命と同じようにパレスチナ人の命をも尊重しているのです。こう書いて、あなたはこの点をはっきりさせましたね。
「私はハマースが働いた暴力に反対するし、どんな留保も持たない。こう言うことで、私は道徳的、政治的立場を明確にしているのだ」

しかし、こうして【ハマースの暴力を批判する立場を】明示しているにもかかわらず、我々は未だに右派団体からの不当な中傷を受け続けています。現在イスラエル軍がガザの人々に働いている大量虐殺を非難している、という理由で。さて、この点から始めましょう。どうやって我々はイスラエルの行為を批判できるのでしょうか、こうした不安定でトラウマ的な時勢のなかで?

ジュディス・バトラー:

ああ、ジョージ、あなたが右翼団体から狙われていると聞いて残念に思います。私の状況も同様で、Eメールの受信欄はヘイト的な文言でいっぱいなのです……。

この時勢において、我々の注意はパレスチナ人の苦しみに対して向けられねばなりません。ジェノサイドは、間違いなく起こっているのですから。アカデミアの人々や活動家、アーティストがイスラエル国家に対して追放、爆撃、殺戮、そして飢餓戦術を止めるよう訴えています。そうした人々にしても、彼らがこの暴力をどう名付けたかで検閲を受けているのです。民族やジェンダー、セクシュアリティに関する研究、人種差別に対する研究を教えてきた我々は、突如として、ジェノサイドに反対したことで罰せられる人々【活動家その他】と同じ括り【反ユダヤ主義】になったわけです。

メディアの動きは素早く、政府と共謀して、ハマース(の軍事部門)をあらゆる形態のパレスチナ人の闘争と同一視しました。市民と軍人の区別を排し、ますます暴力的になる国家とその軍隊に対する抵抗としてではなく、「テロリズム」として武装闘争を定義するためです。

植民地支配の圧制に対する、パレスチナ人の苦しみと抵抗の歴史を理解するため、我々知識人には【抵抗とテロリズムの】明確な区別をもつ義務があります。強制移住、土地の収奪、不当な拘禁、牢獄での拷問、爆撃、そして種々のハラスメントと殺人。これは二つの当事者間の「紛争」ではなく、1948年にまで遡る暴力的な土地の収奪の一形態なのです。【現在のジェノサイドは】新たなナクバなのではなく、何百万もの人々に起こり続けているナクバの一部なのです。

主流メディアは、10月7日のイスラエル人の殺害場面を詳細な映像で活写しています。当然これは痛ましく恐ろしいものです。しかし、ガザで殺された大勢の子供たちは、イスラエルの子供たちが受けるような世界規模での関心や感情移入の対象には決してならないようです。我々は、【殺された】イスラエル国民の名前とその家族については知るでしょう。しかし、幾千人のパレスチナ人の子供に関しては、その数字しか知らされないのです。パレスチナ人が現地から発信している、しばしば惨劇の場面を伴う報告を見つけ出して拡散した場合は別ですが。私としては、ハマースが武装闘争を行っていると理解するのは非常に重要だと考えています。そうして初めて、意味のある議論ができるのです。とはいえ、占領を解体しパレスチナ人の政治的自由を支援し、国際的な援助と称賛のもと彼らが自治的に未来を決定できるようにすること、これこそが主たる目的でなければなりません。

ジョージ・ヤンシー:

誰かが黒人として人種化されたとき、その人がどんな気持ちになるかはわかります。常に監視下に置かれ、他人の管理下でなければ移動の自由をもてず、どこにも属していないような気分にさせられ、眼前の警察の暴力のせいで深い不安と恐怖を感じ、監獄的論理に支配された人生を送り、白人性がもつ構造的な反黒人的要素によって、脆さ、不安定性、身体化されたトラウマの枷を抱えて生きることになるのです。それでも私は、アメリカで黒人であることの意味を、アパルトヘイト下のパレスチナ人であることの意味と同一視しようとは思いません。ガザでパレスチナ人の子供として成長することを、何世代にもわたるトラウマとして理解しようと試みることはできます。未来への展望や、自己決定の感覚をもてず成長するのでしょう。しかし私は、占領下のパレスチナ人として生きることの経験の特殊性、これは経験していません。

ガザのパレスチナ人は、イスラエルによる常態化した封鎖と永続的な貧困状態の下で生きるとはどういうことかを知っています。実存的に、民族的に、そして政治的に、独立を渇望するとはどういうことか、否定されるためだけに占領からの自由を希求するとはどういうことか、彼らはそれを知っています。彼らは、生家を追い出されるのがどういうことかを知っています。

確かにバイデン大統領は、現今のガザとイスラエルにおける悲劇的時勢より前に、つまり彼の(敷衍して言えばアメリカの)イスラエルへの支援を強化するためのテル・アヴィヴ訪問よりも前に、このこと【パレスチナ人の苦しみ】を知っていたでしょう。しかし、パレスチナ人の途方もなく長い苦しみのためにパレスチナを訪れなければならない、といった道徳的緊急性を彼が感じなかった【イスラエル国民が殺されたからこそ訪問した、ということ】ことは、私にとっては明らかです。実のところ、バイデンはこう言ったのです。

「昨日イスラエルにいたとき、私はこう言った。『アメリカが9.11の地獄を味わった時、我々は怒り狂った。【あなた方イスラエル国民と】と同様に』と。我々は正義を求めてこれを勝ち取ったが、同時に過ちも犯した。だから、怒りで我を失うな、とイスラエル政府に警告した」

不幸なことに、まあ予想できましたが、これは無批判で無疑問な、宥和的な語りでした。真に必要だったものは、【イスラエルに】反対する語りです。バイデンはこう言うべきでした。
「昨日ガザにいたとき、私はパレスチナ人に言った。『合衆国は移民の植民地主義と、憎しみ、残酷さ、そして先住民の殺戮の上に形成された』と。私はこうも語った。『白人のアメリカ人は「野蛮さ」や「残虐性」といった言説を、先住民を非人間化してジェノサイドや強制移住、土地収奪を推進するために利用した』と」
バイデンはまた、こうも言うべきでした。
「我々は、こうしたことがあなたがたにも起こるのを見たくはない!我々は、こうしたことが『完全に純粋な邪悪』でしかないと知っている。したがって、合衆国は即時停戦を要求する!」

そして、心痛むこの時に、集団的懲罰としての戦争犯罪をパレスチナ人が経験するのは今が初めてではなかったこと、これを忘れてはいけません。Seraj Assi 【アメリカ在住のパレスチナ系文筆家】の記述がこれを思い出させてくれます。

ほとんど20年の間、ガザは過酷な封鎖下にあり、イスラエルによる継続的な空爆と襲撃、軍事作戦、そして集団的懲罰の対象となっていた。ガザの200万の住人の大部分は、今も殺人的な状態の窮屈な難民キャンプで喘いでいる。IDF の前長官であったベニー・ガンツは、2014年のイスラエルによるガザ侵攻に言及して、「石器時代に帰すまでガザを爆撃した」と誇った。IDFは、ガザでの作戦を「草刈り」と形容しているのである。

https://jacobin.com/2023/10/israel-palestine-violence-hamas-airstrikes-gaza-oppression

いったいどうして、かくも多くの人々がパレスチナ人の叫びと悲嘆を聞かずにいたのでしょう?曖昧な点はありません。この質問の回答は、次の事実と関係しています。パレスチナ人は、イスラエル政府とその西側の同盟国によって「非文明的」だと定義づけられてきたのです。結局のところ、「これはイスラエルだけの戦いではなく、「文明の戦い」なのだ」と言ったのはネタニヤフなのです。

「殴打、銃撃、殺害、暗殺、リンチ、夜間外出禁止令、軍事検問所、家屋取り壊し、立ち退き、強制送還、失踪、樹木の撤去、集団逮捕、長期投獄、裁判なしの拘留」といった恐怖にパレスチナ人は直面しています。しかしこれを体験したのがイスラエルのユダヤ人であれば、このような卑劣な言説や非人道的な行為は一瞬たりと許されないでしょう。

そうしたわけで、これは二重規範なのです。そして合衆国はイスラエルの側をとっており、毎年何億ドルもの軍事援助を行っています。私にとっては、これは合衆国がパレスチナ人の占領を支援し、またアパルトヘイトをも支援していることを意味します。パレスチナ人の実存的苦境(ここでは直近のイスラエルによる「戦争」の布告より前のことを言っています)に耳を傾けないというのは、換言すればこう言ってしまうことでもあります。
「知ったこっちゃない。パレスチナのやつらと子供は、イスラエルのユダヤ人と同じ存在【論的】価値は持っていないんだから」
かくも多くの人々が、迫害的状況下に縛り付けられたパレスチナ人の苦しみに耳を傾けずにきたのは、なぜなのでしょう?どうしたら、パレスチナ人の苦しみに耳も目も向けない人々に、彼らへ関心を持たせられるのでしょう?

ジュディス・バトラー:

私が思うに、ジョージ、あなたが指摘しようとしているのは、シオニズムは当初から人種差別的な計画であった、ということでしょう。テオドール・ヘルツルは、聖地には住人がいないのだから、土地を持たぬ民族たるユダヤ人は罪悪感なしに占領できる、と言いました。この発言が意味するのは、パレスチナ人は人として見做されなかった、ということです。つまり、彼らは文字通り人の姿をしていないと考えられたのです。今日のガザでも、同様の認識論的人種差別が働いていると言えるでしょうか?もし全てのパレスチナ人がハマースならば、そしてハマースがテロリズムの体現であるとすれば、大量虐殺は正当なものとなります。私は―ひょっとすると無意味かもしれませんが―非暴力抵抗を支持しています。それこそ私が2009年からのボイコット・売却・制裁(BDS)運動を支持する理由なのです。しかし、武装闘争を理解し受け入れる人々は、たいてい市民、非市民目標の区別を設けます。もし世論の形成に【イスラエルによる】暴力の歴史と、オスロ合意違約を受けての武装闘争の出現が含まれていたら、我々は今とは違った世論を持っていたでしょう。

ジョージ、あなたは、異なる形態の人種差別を結びつける重要な方法があるとあなたは指摘しました。同じ種類のものだとは明言しませんでしたが。Robin D. G. Kelley【アメリカの歴史家。アフリカ系アメリカ人の歴史に関する著作が多い】はこう記しています。
「私は、ジューンティーンス【奴隷解放を祝うアメリカの祝日】の意味をパレスチナと結びつける。この祝日の原則は、自身の土地を追われ、国家公認の囲い込みに囚われ、軍事的攻撃に晒され、そして不法な占領が課す負債を負う人々に適用される」
Gabrielle Gurley【The American Prospectの編集主任】は2021年のアル=アクサー・モスクにおけるパレスチナ人礼拝者への襲撃についての記事の中で、人種差別の結びつきを明らかにしています。

人混みへゴム弾と催涙ガスとが撃ち込まれ、セメントやアスファルトへ頭が打ちつけられ、逮捕と追放とが残酷さを際立たせる。残酷さは問題だ。しかし、それらの残虐行為は、パレスチナ人が直面する非人間化と日々の不正義の数々をも浮き彫りにした。昨年ジョージ・フロイドの殺害【2020年に警官が不当に黒人男性を死亡させた事件、BLMの発端の一つとして有名】が、アメリカの人種テロを否定したがっていた人々に現実を突きつけたように。

https://prospect.org/world/black-lives-matter-palestinian-resistance-and-the-ties-that-bind/

さて、ここでジューン・ジョーダン【人種やジェンダーを扱った作品で著名なアメリカの詩人】が1982年に見たものを思い出しましょう。レバノンのサブラとシャティーラのパレスチナ人難民キャンプが爆撃された時のことです。彼女の詩、Apologies to All the People in Lebanon【レバノンの全ての人々への謝罪】は次の節を含みます。

彼らはあるものを二度と起こすまいと言った
そうして彼らは100万の人から住処を奪った
彼らは3週間もかけずに殺し、また不具にした
あなた方の男、女、子供のうち4万人を
それでも私は知らなかったし、誰も私に教えなかった
知ったところで私に何ができ、何が言えよう?
「彼らは彼らを犠牲者だと言った
 彼らはあなた方の家々と庭をゲリラの拠点と呼んだ
 彼らが生んだ瓦礫を
 彼らは泣き叫ぶ破壊と呼んだ
 そうして彼らはあなた方に去るよう言った、そうでしょう?」

今、この詩に耳を傾けずにはいられないでしょう。なぜ今もこの詩は真実味を帯び続けるのでしょう?ジューン・ジョーダンの言葉を、アムネスティ・インターナショナル事務総長のアニエス・カラマールによるガザからの新レポートと合わせて考えてください。【今もこの詩がもつ】残響には身の毛がよだちます。
「彼らは通りから通りへと住宅を粉砕していき、市民の大量虐殺を行い、不可欠なインフラを破壊していった。同時に、新たな封鎖は、すぐにもガザでは水、薬、燃料、そして電気が切れてしまうことを意味している。次から次へと、目撃者と生存者による証言が、如何にイスラエルが既に虐殺を経た家族を攻撃するかを証した。こうした破壊の後では、瓦礫の他は遺族に形見も残らない」

さて、同じ年【1982年】にMoving Towards Home【家路】にてジューン・ジョーダンがとった、勇敢な連帯の行為を思い起こしましょう。

私は黒人の女として生まれた
そして今
私はパレスチナ人となった
止むことなき悪の哄笑に対して
我らが生きる場所は少なくなる一方で
愛する人々はどこにいったのだろう?
家路をとる時だ

また、完全に軍隊化された警察力の作り方を教える諸集団、例えばイスラエルから輸出されたアーバン・シールド【urban shield, アメリカの都市部で活動する、警察の重装備部隊】がパレスチナ人と黒人の両方を標的にしたことを思い起こしましょう。こうした集団は、あらゆる蜂起と抵抗の形態を「テロリズム」として扱っています、国内テロとしてであろうと、国際テロとしてであろうと。ファーガソンでの警察による暴力【Ferguson Unrest, 2014年にミズーリ州で黒人の少年が警官に殺害されたことを発端とする暴動】と闘う人々へ助言をし、胡椒スプレーその他の「軍事的戦略」を教えたのはパレスチナ人の活動家でした。

ジョージ・ヤンシー:

テオドール・ヘルツルへの言及は、オーストラリア先住民からの土地収奪を正当化するための、大英帝国による無主地(誰もいない土地)政策における人種差別の利用を思い起こさせました。そして、アメリカの黒人と、ガザのパレスチナ人との苦しみが共有する諸現実を明確に認識していた黒人思想家の明示は、必要不可欠なものです。私はすぐにある声明文に思い至りました。We Charge Genocide: The Crime of Government Against the Negro People【我々はジェノサイドを糾弾する―黒色人種に対する政府による犯罪】です。これは公民権会議によって執筆され、合衆国における黒人のジェノサイド的状態に注意を引くことを目的としていました。あなたもご存じのように、声明文の他の署名者と同じように、ポール・ロブスン【歌手やアメフト選手としても知られる黒人活動家】も1951年に署名付きの嘆願書を国連に提出しました。また、黒人理論家Christina Sharpe【ブラック・スタディーズ研究者】のIn the Wake: On Blackness and Being【目覚めにありて―黒人性と存在に関して】のことも考えました。この著作の中で、彼女は黒人たちに「テロリズムと、我々黒人が占領下で生きる多種多様なあり方」に対応するために有効な手段を考えるよう促し、黒人が「尊重されるべき市民権で我々を守るどんな州や国家も」持っていないことを強調しました。そして、(特に都市部で)パレスチナ人と黒人の双方を標的とするよう組織された軍隊化警察の戦術については、ジョージア州の狂気じみたCop City計画【ジョージア州政府はアトランタに広大な警察・消防隊訓練施設を建設しようとしている】と通ずるものがあります。この計画は、環境規模での人種差別的な雰囲気と、黒人に対する軍隊的取り締まりの強化に繋がる甚大な影響を持つことでしょう。

我々が住む世界は暴力的で、邪悪で、倫理的に不適切で、粗野で、血に飢え、復讐心に燃えており、いつでも暴力に暴力で報いる用意ができています。ある国家がその強力で洗練された武器の使用で脅しつけるところ、他の国家が核兵器の使用をほのめかすところ、子供が―我々すべての子供たちが―「大人の」暴力の結果で苦しむところ、それがこの世界です。こんな世界は、私が望むものではありません。実際、私は最大限の憤怒でもってこの世界を憎んでいます。しかし、それでも私は、内なる沈痛の感覚に囚われないよう闘っています。この世界に満ちる恐怖を鑑みれば、我々は常にこう自問せねばならないのでしょう。
「我々はここからどこへ行くのか?どうすれば、この惨事から、この難局から抜け出せるのだろうか?」

上の問いかけを、パレスチナの状況に絞って考えてみようと思います。ジュディス、自由を求め続けてガザを逃げるパレスチナ人を待つものは何でしょう?実のところ、彼らが逃げていける他の場所があるかどうか、彼らが安全に「家」と呼べる場所があるかどうかは、私にとってもわからないのです。ガザを離れてどこかへ移ることは、根こそぎにされ、追い出され、土地を奪われること、即ちもう一つのナクバのように感じられるに違いありません。国連も既に「壊滅的な人道的結果を伴わずにこうした[原註、人々を]移動させることは不可能であると考える」と表明しています。しかし、人道的危機の存在を認めるには、パレスチナ人の人間性を認識せねばなりません。この観点は、パレスチナ人の人間性かその抹消か、との主題に我々を戻すでしょう。

この「戦争」の勃発を目にして、胸に重いものがのしかかり、死と破壊の画像を見られない(あるいは見るのを拒む)ような、呼吸もままならない時がありました。私はイスラエルの法外な軍事力を見ました。結局のところ、パレスチナ人にはイスラエル人にイスラエル【原文ママ】を出ていけと言うほどの力はないのです。今やそこは瓦礫の山と化そうとしているのですから。ネタニヤフにはパレスチナ人に―家族全員に―南部に「避難」するよう命じる能力があって、そして南は既にイスラエルによって爆撃されている、という事実も、イスラエルの法外な力を示しています。このことは、パレスチナ人の圧倒的な脆弱性を明示しています。彼らは、逃げながらに爆撃されてさえいるのですから。ラファの検問所を通って人道支援トラックが到着しているのは事実です。しかし、この不十分としか言えない支援でさえ、イスラエルが許したからこそ到着したのです。

この力は、傲慢と尊大な自己中心性と不可分に結びついてもいます。イスラエルの国防相Yoav Gallant は、一度ハマースが打ち破られれば、イスラエルはガザ地区の人命に対する「責任」を終えると言いました。この「責任」などというものは、歴史的に必要なものではありません。私の考えでは、そもそも初めにイスラエルによる占領がなければ、責任やらその終わりやらについての主張も存在しなかったでしょう。私はこう言いはしましたが、しかしイスラエルのユダヤ人の脆弱性をも認めています。イスラエルのユダヤ人も、故地に戻れるのです。ユダヤ人には、長い迫害の歴史があります。いったいなぜ、ユダヤ人の歴史がもつ恐怖への倫理的、実在的感覚は、多くのユダヤ人をパレスチナ人との連帯感の共有へとつき動かさないのでしょう?そうした連帯感は、苦しみと追放の終焉への深い献身を内包するはずです。

Giving an Account of Oneself【自分自身について語ること】であなたはこう書いていますね。
「我々の自省能力、つまり自分自身について真実を述べることは、ある言説や体制が語り得ないものとする事柄に対応して制限されている」
必要なものは、どうにかイスラエルのユダヤ人を認識論的に解きほぐし(心から開かせ)て語り得る状態に導ける、根本的に新たな言説なのではないでしょうか。これによって、パレスチナ人に対する犯罪を実際に認められるようになるはずです。そうした語りは、私が見るところでは、倫理的、政治的、そして存在論的にイスラエルのユダヤ人にとっても利益となることでしょう。

ジュディス・バトラー:

語り得ないこととは、ヨーロッパで繰り返し追放と迫害の標的となった歴史をもつアシュケナージ・ユダヤ人【ディアスポラ後西欧に定着したユダヤ人】が、迫害、ジェノサイド、飢餓、そして人々への爆撃に反対しないことでしょう。ここで爆撃されているのはパレスチナ人で、彼らは制度的に彼らの土地から追い出され、その土地を取り戻したがっていることで犯罪化されているのですが。イスラエルの建国が「正当性」を確保するための追放と土地収奪に立脚していること、これが問題の根本ですから、イスラエルのユダヤ人への人道的な訴えかけが【彼らに新たな言説の座を持たせるのに】効果的かは分かりません。パレスチナ人の帰還権が認められるまで、暴力の解決はあり得ません。そしてほんの僅かなイスラエル国民しか帰還権の正当性を理解せず、それがどのように実現するかを考える一翼となれるイスラエル国民もまた、ほんの少数です。Zochrot【ナクバの認知を広めようと試みているイスラエルのNGO】は美しい例外でしょう。

真に平等な条件での実現を妨げる植民地支配の構造を解体することなしには、「共存」などあり得ません。服従への同意、無価値さの承認、そして制度的形態をとった暴力と人種差別への統合と服従の受容をパレスチナ人に求めていては、「平和」などあり得ません。正義を求める人々がテロリストやその同類として糾弾されるとき、これら「共存」「平和」といった言葉が盗まれ濫用されるのが見られます。大学と芸術機関、例えばニュー・ヨークの92NY【マンハッタンの文化センター】は、パレスチナ人の命と自由を代弁する著作家を拒絶し、彼らの言論を抑圧しています。Jewish Currents【左派ユダヤ系メディア】はこの動向を記録しています。

そして、非常に優秀で勇気ある支援団体であるPalestine Legalは、ここ最近で既に200件以上の検閲、抑圧、あるいは失職が起こっていると報じています。正義のために語る人々が検閲されるのは、許せないことです。【正義が減ることは】不正義が倍増し、我々の世界の運命が、公共空間で真実を語ることの展望が、ますます暗くなっていくことを意味するのですから。しかし我々の声の検閲は、ジョージ、これも悪いことではありますが、可能であったら今語っているはずの命、今まさに瓦礫と化そうとしている声の抹消とは比べ物になりません。

人種差別は、全ての命は等しく哀悼に値するわけではないと定義します。しかし、我々個人が悼む能力を育むことによって、あらゆる命が哀悼に値するようになるのではありません。あらゆる命は、人種差別が完全に解体されてはじめて、生に、また哀悼に値するようになるのです。決して失われるべきではなかった命を名付け、認識し、そしてそのために集うことは、正義を求める共同体の要求と、その怒りに哀悼を結びつけることです。ですから、哀悼は、憤怒は、共同体と連帯は―我々の悲惨な現状の道標であり、今ならまだあり得るかもしれない、あらゆる未来への可能性でもあるのです。


翻訳:でん
翻訳に係る責任は全て訳者に帰属します。

校正をしてくれた友人への感謝をここに記します。
14. 11. 2023.

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