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とけてゆくのをまつ

歳を重ねると、今までできなかったことができるようになってきたりする。
これはとても面白いことだ。
頭ではわかっていても、実際に自分で行うことが、なかなか難しいことというものがある。
その一つに「待つ」ということがある。

若いころは、急いで結論を出したり、自分のペースを相手にも求めたりして、それが、イライラの原因になり、ストレスとなっていた。
ましてや、私の長女は、知的障害があり、それなりの世界で生きている。
その世界の価値観や、時間の観念や、倫理観などは、私の生きてきた世界のものとは、全く異なっている。

そういうことはわかっている。
誰だって、世界中のみんなもわかっている。
だけど、独特の世界観を持っている長女と暮らすことは、頭でわかっていても、理想論を語る人であっても、とても難しい。

理想論を語り、正論を言うことは、誰だってできる。
私だってできる。
簡単なことだ。
でも、知的障害のある長女と暮らすことは、簡単にできることではない。

若いころ、私は支援の仕事に就きたいと思っていた。
障害者の母になるということは全く考えていなかった。
つまり、仕事として支援をするが、「家に帰ってから」は普通の生活をする人になりたかった。
しかし、現実は違った。
私は障害者の母になった。
支援者と、障害者の母の間には、目には見えないけど、確かにカウンターのようなものがあって、あちらとこちらに分かれていた。
分断されていたという感じだった。

私は、支援者の仕事はできる。
ボランティアもできる。
それは、私にとっては知識とか理解の範囲では難しくない仕事である。
しかし、障害者の母の生活は別だ。
それは、仕事としての支援より、数十倍のエネルギーが必要な生活だ。

ただただ、専門の知識があるだけでは、どうにもならない。
もちろん知識はあった方がいいに、こしたことはないだろうが。
しかし、時たま、豊かな知識が邪魔をして、本来の姿を見えなくしてしまうことだってあるから、知識ばかりに頼ることは危険だ。

何がどうなっているのかわからない状態で、手探りで生活をしているうちに、これは、私の心のもちよう、世の中を見る私のまなざし。
人々を見る私の心の目が、大事なんだとわかってきた。

わからない中で、わかってきたこと。
それは、こんがらかった毛糸がほどけていくような。
カチカチに固まった、土団子がとけてゆくような。

あせらないで生きてきたからこそ、やっとこのような気持ちになれたのだろう。
ものすごくゆっくりだったけど、丁寧に生きてくることができたのは、長女を育てる上で、「待つ」ということをたくさん体験したからだろう。

世の中は、すべて一筋縄ではいかないことばかり。
カチカチに固まった考え方や、習慣などが、断崖のように行くてを遮る。
そんなときも、めげないで、試してみる。
あきらめないで、待ってみる。
そうすると、少しずつ、溶けてくることもある。
それはそれはゆっくりと、十年かかってやっとここまでというくらいのろいスピードで。

そんなことを考えながら、アイスクリームを食べる。

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