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躁病の家族と暮らすということ

 鬱病の闘病記や、鬱病の家族の手記や漫画などは目にする機会が多いが、躁病の家族の記録や手記は、少ないように思う。
「楡家の人びと」や「夜と霧の隅で」などの作者、北杜夫さんは躁うつ病で、そのことを娘さんの斎藤由香さんが、「パパは楽しい躁うつ病」と言う本で書いているのは知られているが、それ以外はあまり聞かない。
 海外ドラマでは、「ER」や「ホームランド」など、映画では、「世界にひとつのプレイブック」に双極性障害のある人が登場する。本人の生きづらさ、家族や周りの人たちの戸惑いや困難が描かれている。
 今まで、躁鬱病やうつ病は、「気分障害」と言われていたが、DSMⅤでは、気分障害と言う言葉はなくなり、双極性障害Ⅰ型、双極性障害Ⅱ型というようになった。
長女の診断書に「気分障害」という言葉が見られるようになったのは、成人してからだ。子供のころは、「易怒性、攻撃性が強い。」などと書かれてたと記憶する。最近の診断書には、「躁病」ときっぱり書かれている。

 子どもの双極性障害は、ごくまれであると言われているが、今から思えば,双極性障害ではなかっただろうか、と思われるエピソードは、たくさんある。
買物に連れて行っておやつを食べたあと、急に不機嫌になり、大声で怒りだしたことがある。まるで、おやつに「不機嫌になる薬」でも入っていたのかと思うような急変ぶりだった。夕ご飯にしようと、食卓にお茶わんやお皿を並べると、手を伸ばして、食卓の上のものを全部、払い落し、大声で怒りだしたことがある。不機嫌や、母親への攻撃がやまないので、家に一人残し、下の妹たちを連れて外に出て、ぐるぐる、町内を回っていたことがある。一人にして、しばらく置いておくと、少しおとなしくなるからだ。小学生のころからそういうことはあったなあと思う。
小さい妹たちが、攻撃の被害にあわないよう、目が離せず、夜に散歩したり、祖母の家に行かせたり、長女と引き離すことをよくしていた。
その頃は、双極性障害とは思っていないから、「不機嫌発作」と私は呼んでいた。

 長女にはてんかんの発作があり、抗てんかん薬を小さいころから服用していた。成人して、てんかんの発作が出なくなったころ、薬を減量することになった。てんかんの薬の調整は、簡単なものではなく、中学3年生のころには、入院して薬合わせをしている。
発作が起きなくなったので、今まで飲んでいた薬を、まず半分の量にし、その後様子を見て、さらに減らしていくという診断は、それまで、服薬の苦労をしてきた親の私にとっては、とてもうれしいものだった。このまま、うまくいってくれたらどんなにいいだろう。
 ところが、てんかんの発作は起きなかったが、「躁転」したのだ。
激しい気分の波が荒れ狂い、攻撃性は増し、少しのことで怒りだす、声がかれるまで大声で怒鳴りまくる。医師に報告すると、抗てんかん薬の「カルバマゼピン」は、躁病を抑える薬でもあるために、減量したことで、抑えられていた躁状態が出てきてしまったのだろうということだった。それから、躁状態を抑えるための服薬治療が本格的に始まった。

 躁転のきっかけは、突然やって来る。それまで、静かに生活していたのに、よく朝起きたら、躁転していることもある。
お気に入りのハンカチが見当たらないというだけの理由で、怒りだして止まらなくなったりする。どうしても見つけてと、母親に命令する。
頭の中に浮かんだものが、なにがなんでも欲しくなり、母親にすぐ買ってきてと命令する。夜中だろうと早朝だろうと。目当てのものが手に入るまで、怒声はやまない。ご近所はもちろん、通りの向こうまで、怒鳴り声が響き渡る。静かな住宅地の静かな夜や、朝早くに。
本人は躁病の自覚がないから、大声が丸聞こえでも恥ずかしくなどない。
興奮しすぎると、取り返しがつかないことになるので、何とか落ち着かせようと試みる。知的障害があるので、説得は聞かない。
 まず、場面を変えるということを試みる。本人は動かないから、母親が外に出て、しばらく長女を一人にさせる。攻撃する相手がいないと怒鳴ることができないので、少しは静かになる。夜更けのウォーキングと思えば、どうってこともないのだが、真冬の夜にうっかり上着を着ないで外に飛び出し震えたこともある。

 帰りのバスの中で見かけた子供が持っていたイチゴのショルダーバッグが欲しい。腕にはめるアームカバーが欲しい。今すぐに買ってきて。
街に出かけたときに、目に入ったコンパクトを買って。かばんを買って。今井翼の帽子を買って。
決して使わないであろう品物を欲しがり、タンスの隅に、眠っているもの多数。
幸いなのは、お金の計算ができないため、(10円と100円の区別もつかない)一人で買い物ができないので、とんでもない買い物はしないで済んでいるということだ。知的障害のない躁病の人は、不動産や株など、何千万、と言う買い物をしてしまう人もいるそうだ。

朝ごはんの無茶ぶりには苦労させられる。
「パンじゃないものください。」
「ごはんじゃないものください」
その日の献立をすべて否定する。

 並んで歩いていると、私にぶつかってくる。よけると、追いかけてきて服を引っ張る。逃げると追いかけてくる。
歩きながらも、私に向かって怒鳴りまくる。
夜は寝ない。
「たすけてくださあい。眠れませーん。」と叫ぶ。
「あとどのくらい寝ていればいいですか。」と早朝私を起こしに来る。
日中、追い掛け回されてくたくたになっているところ、夜中に起こしに来るものだから、母親は疲労する。とにかく家族が壊れてしまう。
長女の声がかれてくると、そろそろ疲れが出始めるのではないかと期待する。

 治療法としては、心理療法などもあるのだが、長女の場合知的障害があるので、服薬治療だけになる。
薬合わせがこれまた大変で、何年間にもわたって、毎月、通院し様子を見ながら進めている。躁病治療に効果があるとされている、「リーマス」は、長女には全く合わず、激しい副作用が出て、入院するまでになった。
今は、カルバマゼピン、リスペリドン、クエチアピン、バルプロ酸、そしてそれらの薬による副作用を軽減させる薬、を量を加減しながら服薬している。

 長女に変化の兆しがあると、すぐに主治医に電話して相談することにしている。声が大きくなってきた。動作が乱暴になってきた。不機嫌が続く。気分が安定しないなどというようなことがあれば、一人で心配しないで、主治医や、通所施設の職員や、水泳カウンセリングの先生に相談する。なぜなら、母親の表情の変化が、長女に一番影響するからである。
母親の精神の安定、これが一番難しい。

 今日、この文章を書けているということは、長女は躁転していないということなのだ。長女が躁転さえしていなければ、本も読めるし、文章も書ける。
でも、いつ躁転するかわからない。だから心の底はいつもドキドキハラハラしている。躁転のきっかけはどこに潜んでいるかわからない。まるで、どこかに躁転のスイッチがあって、どこかの誰かが、何かの拍子で、スイッチを押してしまうのではないだろうかと思ってしまう。
躁状態になると、表情も変わり、まるで、別人になってしまう。多分、昔であったら、悪魔が乗り移ったとか、キツネがついたとか言われていたかもしれない。

今日のような、穏やかな日々が何日も続いたらどんなにいいだろう。
夜、ぐっすり眠れること、それが、一番の幸せ。

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