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儀式が嫌いすぎる、サプライズは勘弁してほしい

こどもの頃はバースディケーキなんて食べたことがなかった。存在さえ知らなかった。特に貧乏ではなかったが田舎だったから、ときどき母が重い鋳物で焼いてくれた巨大な煙突パンが最高のおやつだった。誕生日もこの煙突パンだ。こどもには浮き輪の大きさに見えた。誕生日が嬉しかったのはそこまで。

今では現在〇〇歳か、あるいは誕生日で〇〇歳になるのかさえあやしい。誕生日のロウソクも通夜のロウソクも大差ない。
誕生日を迎えると、残された時間が現実的となる。ある大数学者は「誕生日会という通夜」と言った。彼は歳をとり定理が証明できなくなることを恐れていた。 
ここまで生きてきたのはありがたい。祝ってもらわなくてもいい。ただしみじみと思えばいい。

サプライズが嫌いだ。喜びを期待されて覗き込まれているのが辛い。コイツはサプライズを仕掛けようとしていると感じ取った瞬間から身構える。
そもそも儀式が嫌いだ。誕生日会、葬式、結婚式、送別会、歓迎会、すべて遠慮したい。
暗い中でロウソクを吹き消すなんて恥ずかしすぎる。
皆が皆「本日は‥」の後は聞き取れないように喪主に頭を下げる。
仲人の嘘八百に鼻白らむ。
送別した翌日から忘れているくせに。
何も知らないくせにあなたを待っていたふうな歓迎の挨拶‥

書いてみて自分はなんてへんくつで可愛げがないのだと思う。もっと素直に楽しめばいいんじないという陰口は当然だ。これらは口に出しすと面倒なことになる。飲み込むのだ。口に出してしまうほどモーロクする前にお迎えが来てほしい。


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