不老不死なんて拷問だ、その時が来たら迎えに来て
≪不老不死なんて≫
古の権力者は不老不死の妙薬を求めた。現在もアンチエイジング市場はとどまるところを知らない。
不老不死なんて拷問だ。あと100年生きろと言われたら地獄だ。私はごめんだ。定められた時が来たら迎えに来てほしい。終わりがあるからなんとか頑張れる。終わりがあるからいとおしく思う。桜が3か月も咲いていたらどうだろう。
エイジングはアンチするものではなく、1年1年失うと同時に獲得するものであろう。ここまで年をとるのにどれだけの作業をしてきたか、若者よ、いっきにこの域までは来れないだろう。悔し紛れと言いたければ言うがいい。
不自然にパンパン、つやつやした頬をした女優よりも、農作業の合間に顔をあげたときの、陽に焼けた深い皺がどれだけ好ましいか。
父や母が、いろんなことができなくなっていくのを、切なく見ていたが、得ていったものは何だろうと考えた。ひとつできなくなるごとに愛おしさが増えた。やがて向こうに行ってしまうと思うと何でもしてあげたいと思った。一日ただうとうとしているのをみていると、肉体を使いきった尊さを思った。
父は90歳を越えてから、静かにお迎えを待っていた。ある日具合が悪く、床についたが、あくる日、目が覚めたら現生だったという。うまい具合に向こうに行けると思ったのにと無念そうであった。子供としては複雑だが、迎えが来たら静かに手を振って送り出したいと思った。そして父は静かに向こう側に行った。
私も、自分で向こう側に歩いていくのは怖いが、定められた時に迎えに来てくれるならば抵抗はしない。
≪黒いストッキング≫
施設に入居していると、買い物もままならないので、時々電話で欲しいものがあるか聞いて送っていた。甘夏が好きだったから、その季節には必ず段ボールで送っていた。
ある時、母が黒のストッキングを送ってほしいと言ってきた。なんでそんなものをと聞くと、おじいさんの葬式に出るときにないと困るという。そのおじいさんは隣で聞いている。おじいさんとは父のことであるが、母は自分の方が後だと思いこんでいる。夫の葬儀に参列する自分を想像し、黒のストッキングがないことが心配で仕方ないようであった。はたから見ると、どうみても父の方が元気であったが、少し高級な黒のストッキングを買って送った。
結局、黒のストッキングは使うことはなく、父が母の葬儀に参列した。
≪いい遺影がほしい≫
母のおさななじみが亡くなったが、母は外出もままならず、葬儀に参列できなかった。私が帰省したおり、線香をあげに連れていった。座敷に祭壇が設けられていたが、段差があり上がることができす、香炉を縁側まで持ってきてもらい線香を立て、縁側からのぞき込むように手を合わせた。
母はじっと遺影を見ていたが、「いい写真だ、いい写真があって良かったに」と何回も言った。帰りの車中でも「いい写真だった」とうらやましそうであった。自分の遺影はどうしたらいいか心配らしかった。今の顔では白髪も染めてないし年を取りすぎている、若すぎてもだめということらしい。
母には言えなかったが、私は母の写真を決めていた。元気なころの家族写真で、少し微笑んでいて髪も染めていた。
母の葬儀のとき、父はいい写真だと満足そうであった。父の写真も決めていたが言えなかった。
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