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お医者様はいらっしゃいますか?

≪いますけど…≫

航空機内でドクターコールを聞いたことはあるだろうか。さっそうと登場し、かっこよく処置をしたいが簡単ではない。よかれと思ってやった処置でも結果が悪ければ訴訟のリスクがある。病院内でも結果が悪ければ問題となる場合があり、まして機内では道具なし、情報なし、専門外の領域で戦わなければならない。航空会社や国によって責任の表現が微妙である。重大な過失でなければ問われないのが原則だが、重大な過失とはなんぞや。
コールがあったら酒をのみ、酔ってますので、と言えという先輩医師もいたが、私はお酒が飲めない。
オランダ航空でフランスに向かう機内でドクターコールがあった。何人かが立ち上がり応じた気配だ。好奇心が抑えられない。通路の人だかりの中に顔を突っ込む。「お医者さまですか?」「ええ、まあ」「専門は?」「内科です」というやり取りの後、彼らは「僕たち研修医です」「皮膚科です」「あと、お願いします」と言って、私ひとりが残された。
幸い、重症感はなかった。しかし、研修医たちよ、血圧も測ってないのかと、ぼやきながら診察した。機内での過度の飲酒が原因のようであった。スタッフが何か処置が必要ですかと、心配そうであった。処置は不要と思ったが、どういう薬剤が準備されているのか知りたくなった。いまは不要だが後で使うかもしれないと言って救急カートを開けてもらった。「ふむふむ、点滴、強心剤、等ひと通りあるわい」
寝かせておくだけでいいのだが、機内では真横になれる場所がなかったので閉口した。
時間経過でよくなったが、目的地近くになり「救急カートを開けた場合は、カルテの記載が必要になりますのでお願いします」と言われ、A4で2枚ほどの用紙に英語で詳細に記載しばければならなくなった。住所、氏名も問われた。
過度の好奇心は禁物だと反省した。
旅行中、帰りはビジネスクラスかも、と期待した。「先日はありがとうございました、ビジネスクラスをご用意しました」「いえ、たいした事はしていませんので」と一回は辞退しよう、と妄想していた。
帰りの飛行機のチェックインは、当然のようにエコノミークラスだった。
「ですよね」
後日、オランダ航空から大きな花束が届いた。

≪かっこ悪い医者≫

モンゴルに旅行した20年以上前のことである。何日も草原を車で西に走ったが景色は変わらなかった。ゲルで見た満天の星は地平線まであり、天の川は白い帯となって天を覆っていた。寝るのが惜しくなる生涯最高の星空だった。
現地のガイドさんに職業を聞かれ、隠すこともないと医者であることを告げていた。ある夜、ガイドさんに宿の女主人がお腹がいたいので診てあげてくれないかと言われた。専門は呼吸器であり、道具もないし、かぜ薬くらいしか、持っていなかった。診察だけで判断をくだす自信がまったくなかったので、丁重に断ってもらった。
翌朝、車で病院に向かう女主人の後ろ姿を見ながら、敗北感でいっぱいだった。病院まで半日もかかるかもしれない。恥ずかしかった。
星空の大きさと、みじめに小さな自分。
その日以降、しばらくガイドさんとはぎくしゃくしてしまった。
せめて、お腹を触ってあげればよかったと強く後悔した。手当というではないか。もう一度、こんな機会があったら、診察しよう、そしてわからなかったら、わからないと言おう。20年以上経っても恥ずかしさは消えない。


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