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「これはゴミだ」の真実

≪ばーか、これはゴミだ≫

医学部の専門課程では組織学の授業がある。組織学とはプレパラート上に固定された標本の顕微鏡観察である。臓器の細胞と細胞間構造を観察し、病理医はこれをもとに診断をくだす。
その訓練のために、学生は顕微鏡を覗きながら何本もの色鉛筆でスケッチし所見を書く。何の臓器であるか、正常か異常か、どういう所見があって、何が考えられるか。
最初は両眼視ができない。二つの接眼レンズを覗いても、利き腕と同様に利き目があって、どうしても利き目でみてしまう。両眼視が突然できるようになり、視野は大きく開け立体的になった。「あっ」と声を上げる喜びだった。
組織学の教授は、顕微鏡の視野内にある矢印で組織の一部を指す。「これは何だ」「気管支の上皮です」「じゃあ、これは何だ」と矢印を動かす。何か短い濃い組織が見える。「骨ですか?」「ばーか、これはゴミだ」と教授はにやにやして嬉しそうであった。
この教授は小意地が悪いと学生には不人気であったが、へんくつな私はこの教授を好ましく思い熱心に勉強した。
実地試験でも、ゴミは出題された。ゴミはゴミと答えなければならない。
卒業してから、これはとても大切なことと気づいた。出会うものはすべて玉石混淆である。きれいな標本、典型的な所見ばかりではない。最初から玉だけを探してはいけない。石を石と判断できなれば玉に行きつけない。教授は意地悪でも皮肉屋でもない。教育者なのである。
先日、この教授の訃報が新聞の片隅にあった。


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