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アメリカに馬を買いに行く

≪火つけて帰りな≫

小さいころ、裏の小屋で黒い肉牛を飼っていた。私は馬のほうがかっこいいと思い、馬を買ってくれとせがんだ。父は諦めさせるために「馬はアメリカでしか買えない」と言った。私は「じゃあ、アメリカに馬を買いにいく」と言い張ったらしい。
小学生も高学年になると、馬は日本でも買えるらしいことを知ったが、依然アメリカは憧れの国であった。
中学生になると英語の授業がはじまったが、外国人には会ったこともない田舎であった。
学習塾はなかったが、英語塾がひとつあった。鼻が高いおじさんが先生で、日本人ですか聞きたくなる風貌であった。「英語はこういう人に教わらなければ」と思ったが、まったくの日本人であった。
その家のおばあさんは、塾が終わると、いつも「じゃあ、ヒーつけて帰りな」と送りだしてくれた。「気ぃつけて帰りな」と言っているのだが、歯がないので「火つけて帰りな」に聞こえる。子供たちは「火つけて帰ります」「火つけて帰ります」と手を振って散っていった。1ドル360円の時代である。

≪落馬した≫

馬への憧れは残っていて、大学生のころ乗馬教室に通った。騎手がへたくそと見ると、馬はなめてかかってどんな指示にも応じてくれない。あの端正な顔で知らん顔される。四角い馬場も丸くまわり、その円はどんどん小さくなる。乗せてやってる感が半端ない。振り落とそうとするやつもいて何度も落馬した。ヘルメットはかぶっているが危険である。
ある時は、落ちながら蹄でお尻を蹴られた。あまりの痛さに落馬したまま動けなかった。乗馬教室のスタッフが、「いい薬がある」と小屋の中から塗薬を持ってきてくれた。それを塗ると痛みは少しよくなったが、後で馬用の薬と知った。
お尻の右頬には見事に蹄鉄のくっきりとした青あざができていた。「見て、見て」と人に自慢したくなる烙印であった。お尻だったのが残念だったが、お尻だったから助かったと考えて開示は諦めた。

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