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〇『ジャズ・マイルス IV』 NHK-FMで2022年10月17日(月)深夜24時から5夜連続で放送~マイルスと親交のある小川隆夫さんDJ


 
〇『ジャズ・マイルス IV』 NHK-FMで2022年10月17日(月)深夜24時から5夜連続で放送~マイルスと親交のある小川隆夫さんDJ

 
【”Jazz Miles IV” On NHK-FM October 17, 2022 – 5 Nights 】
 
(本作・本文は約9000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字で読むと、およそ18分から9分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと30分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)
 
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〇『ジャズ・マイルス IV』 NHK-FMで
2022年10月17日(月)深夜24時から5夜連続で放送
 
【”Jazz Miles IV” On NHK-FM October 17, 2022 – 5 Nights 】
 
マイルス。
 
ジャズ界の帝王、マイルス・デイヴィスをフィーチャーするFM番組が2022年10月17日(月曜)深夜24時(18日午前0時)から5夜連続で放送される。番組は50分(49分)。DJは、マイルスとも親交があったジャズ評論家、ジャーナリスト、小川隆夫さん。(その親交については下記記事参照) 第2夜、第3夜、第4夜にゲストがはいる。2夜は小説家の平野啓一郎さん、3夜は作・編曲家・ギタリストのスギゾー(SUGIZO)さん、4夜は東京ジャズの音楽プロデューサーだった八島敦子さん。
 
全国のNHK-FM、またインターネットのらじるらじるで聴取できる。
 
概要は次の通り。
 
ジャズマイルス Ⅳ ‐1‐ (NHK-FM・東京)
2022年10月18日(火)
午前0:00~午前0:50(49分) “ジャズの帝王”マイルス・デイビス。彼が残した膨大な音源をえりすぐり、音楽性からその人物像を探求します。番組DJはマイルス・デイビスと親交があった小川隆夫。
 
ジャズマイルス Ⅳ ‐2‐ (NHK-FM・東京)
10月19日(水)
午前0:00~午前0:50(49分) ゲスト:平野啓一郎(小説家)
 
ジャズマイルス Ⅳ ‐3‐ (NHK-FM・東京)
10月20日(木)
午前0:00~午前0:50(49分) ゲスト:SUGIZO(作編曲家/ギタリスト)
 
ジャズマイルス Ⅳ ‐4‐ (NHK-FM・東京)
10月21日(金)
午前0:00~午前0:50(49分) ゲスト:八島敦子(音楽プロデューサー)
 
ジャズマイルス Ⅳ ‐5‐ (NHK-FM・東京)
10月22日(土)
午前0:00~午前0:50(49分) “ジャズの帝王”マイルス・デイビス。彼が残した膨大な音源をえりすぐり、音楽性からその人物像を探求します。番組DJはマイルス・デイビスと親交があった小川隆夫。
 
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■過去「ソウル・サーチン」小川隆夫さん記事
 
小川隆夫さんの音楽"トーク絶好調"ゼミナール(パート1)
2009年05月31日(日)

 
【小川隆夫さん : 絶好調トーク(パート2)~生粋のコレクター(ネイティヴ・コレクター)の巻】
2009年06月01日(月)

 
↓ これは本当におもしろい。小川さんのマイルスの初めてのインタヴュー
 
小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート3)~マイルス・デイヴィスの巻
2009年06月02日(火)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10272555064.html
 
●【小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート3)~マイルス・デイヴィスの巻】
 
キャンセル。
 
駒場東大前の夜は更けていく。満員だったお客さんも小川さんに挨拶をして少しずつ帰路につく。僕と内田さんは、小川さんと談笑を続ける。小川さんの本職は優秀なブラック・ジャックのような整形外科医だ。医師としての仕事の合間に大好きな音楽の仕事、とりわけジャズ関係の仕事を精力的にこなしている。
 
そして、小川さんといえば、マイルス・デイヴィスである。たぶん、小川さんファンの方、『マイルス・デイヴィスの真実』をお読みになった方はご存知のエピソードなのだろうが、小川さんの話しっぷりが実にうまく、引き込まれた。僕は初めて聞いたので、また、おそらくこの「ソウル・サーチン」読者にも初めての方が多いと思うので、記憶の限り彼の話を再現してみたい。
 
小川さんのマイルスとの初遭遇は、なんと驚くなかれ1964年、14歳のときだった。彼の兄がガールフレンドと行くためにチケットを2枚買っていたが、その彼女に振られたので、弟(小川さん)にくれた。弟はわけもわからず新宿の厚生年金ホールに見に行った、という。まだマイルスのレコードもほとんど聴いていなかった。実際ライヴを見ても、2階席の一番上のほうでほとんど見えず、あんまり印象にも残っていなかった。後に自分がレコードをぼつぼつ集め始めて、「ああ、そういえば、このマイルスのコンサート、行ったことあるなあ」ということを思い出した程度だった。
 
物心ついてからは、マイルス一直線になっていき、もちろん、ジャズ評論家としてマイルスのレコードはかなりコンプリートに集め、ブートレッグ(海賊盤)も相当収集するようになる。そんな小川さんだが、初めてマイルス・デイヴィス本人に会ったのは、いつですか、と聞くと「1985年3月1日」と間髪をいれずその日にちが返ってきた。日本のレコード会社(CBSソニー=当時)から、マイルスがちょうどレコーディングしていた最新作についてインタヴューをして、できればマスターを持ってきてくれと依頼された。そこで、インタヴューの日取り、場所などがレコード会社によって設定された。
 
このときのアルバムは、『ユー・アー・アンダー・アレスト』となるが、実際にリリースされるのは1985年9月のこと。3月の時点では完成したマスターテープを、アメリカ本国CBSの人間さえ聴いていなかった。音もなく、巨匠マイルスにインタヴューするということで小川さんもかなり焦った。そりゃそうだ。最新作についてのインタヴューをするのに、それを聴いていないことには話しは始まらない。しかも相手はマイルスだ。あのぎょろっとした目で睨まれた日にはひとたまりもない。
 
2月末のインタヴュー予定日、場所はニューヨーク。あっさり、マイルスからキャンセルされた。改めて、別の日が設定された。第二の日程になったら、また、キャンセルされた。アーティストのインタヴューのキャンセルは日常茶飯事だ。僕もそうした経験は何度もあるが、デイヴィッド・リッツが言うように、取材する側は辛抱強くひたすら待つしかないのだ。アーティストが口を開かない限り、記事は誕生しない。
 
遅刻。
 
小川さんが日本に戻る日が刻々と迫ってきた。もう今回のインタヴューはないかと思われたとき、マイルスが会うと言ってきた。しかし、とんでもないことに、その場所はカリフォルニア・マリブのマイルスの自宅だという。飛行機で5-6時間はかかる。とは言っても、もちろん、小川さんはカリフォルニアに飛んでいくことになる。ニューヨークを朝一番に飛び、ロスに昼ごろ到着して、マリブに車で行く。マイルスからは当初、2時間程度の時間がもらえることになったという。
 
ところが、マイルスのインタヴューは一筋縄ではいかない。よりによって、その日乗った飛行機が大幅に遅れたのだ。どうがんばっても、指定された時刻には間に合わなくなった。そこで、ロスのCBSのスタッフがかけあい、2時間のところを30分でもいいから時間をくれと交渉し、承諾された。
 
こうして小川さんは、巨匠マイルスを何時間か待たせた男となった。
 
空港からマリブまで飛ばし、自宅に到着すると、マイルスは意外と上機嫌だった。そこは当時のガールフレンド、シシリーと住んでいた家だった。開口一番、小川さんはマイルスに謝った。「新作アルバムのインタヴューに来たが、実はまだそのアルバムの音を聴いていない。申し訳ない」 するとマイルスは言った。「当たり前だ。そのマスターは、まだ誰にも渡してない。オレのところにしかないんだからな。聴きたいか?」 小川さんはその場でレコード会社の人間さえも聴いていなかった最新作を、マイルス直々の(レコード)プレイで聴かされる。
 
予定の30分なんて、レコードを聴くだけであっという間に過ぎる。だが、マイルスはそんな時間のことなど気にかける様子もなく、小川さんの質問に淡々と答えた。オフィシャルのインタヴューを一通り終えると、マイルスは彼に尋ねた。「これからどうするんだ?」 「飛行機に乗って、ニューヨークに帰ります」日本に戻るなら、LAから直接戻ればいいようなものの、このときの日本・アメリカのチケットがニューヨークから戻るものになっていたので、一度戻らなければならなかったのだ。ほとんど西海岸日帰りコースだ。飛行機の出発時刻までにはしばらく余裕があった。するとマイルスが「じゃあ、しばらく、いろ」という。そこで家を案内されたり、インタヴューではない雑談をするようになった。
 
マイルスの車好きは有名だ。黄色のフェラーリに乗っている。マイルスはそれを見せてくれた。「乗りたいか?」とマイルスは言う。小川さんはもちろん乗る、助手席に。家の近くをしばしドライヴとしゃれた。
 
そう、小川さんはマイルスにフェラーリを運転させた男だったのだ。
 
時が経つにつれ、小川さんとマイルスは徐々に近づいていく。いろんな雑談の中で、マイルスの足の傷の話しになった。マイルスは当時、右足に手術を受け、それが失敗し、びっこをひいていた。小川さんによれば、その手術を執刀した白人医師が、マイルスが黒人のため、本当だったらありえないような手術を行い、傷つけたという。人種差別でそういうことをする者がいるという。マイルスは人種差別には、相当な一家言を持っていた人物だ。
 
マイルスはすでにいくつかリハビリをしていたが、効を奏せず、痛がっていた。小川さんは1981年から1983年にかけてニューヨーク医科大学でリハビリテーションを専攻しており、それはまさに彼の専門であった。そこで、帰り際、いくつかのリハビリの仕方をメモに残し、伝授していった。
 
再会。
 
それから4ヵ月後。1985年7月末。マイルスが『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ』のために来日する。一目再会したいと思った小川さんは、彼を追っかけて滞在先のホテルまで行き、マイルスを待ち受けた。マリブで会ったときは、周りにガードマンなどもいなかったが、さすがに来日時にはがっちり周囲は御付の人に固められ、インタヴューはもちろんどこの媒体もなし、一目会うのさえ不可能のように思えた。
 
マイルスご一行が新宿のホテルのロビーに到着した。彼の周りには屈強な連中が何人もいる。とても近づけそうにない。すると、なんとマイルス本人が、小川さんを見つけ、「こっちに来い」と手招きするではないか。マイルスのところに近づくと、マイルスは小川さんに言った。「ほら、ちゃんと歩いてるだろ」 そう、4ヶ月前に彼が伝授したリハビリをマイルスはちゃんとやって、その効果があったのだ。若干びっこの跡はあったが、マリブで会ったときより数段よくなっていた。そして、「部屋に来い」と言われ、マイルスの部屋に招かれたのである。
 
小川さんはこれを機にマイルスと急速に親しくなっていき、来日のたびに、またニューヨークなどで何度も会うようになる。マイルスは彼のことを「マイ・ドック(my dock=my doctor)」と呼ぶ。整形外科医という仕事が、まったく予期せぬところで、マイルスとの邂逅を一段深みのあるものにしたのだ。
 
1964年、14歳のときに、兄からのお下がりで何もわからず初めて見たマイルス・デイヴィスのコンサートから21年。マイルスに憧れ、ファンとなった小川さんは、ついに彼のマイ・ドックとなった。まさにこれぞ「縁」であり、「運命」そして「必然」なのだろう。
 
小川さんは、マイルスに「マイ・ドック」と言わせた男なのだ。
 
(この項、つづく)
 
ENT>MUSIC>ARTIST>Davis, Miles
ENT>PEOPLE>Ogawa, Takao

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小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート4)~マイルスからキャメオまで
2009年06月03日(水)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10273145392.html
 
■【小川隆夫さん語る: 絶好調トーク(パート4)~マイルスからキャメオまで】
 
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ホットライン。
 
マイルスの「マイ・ドック(かかりつけの医師)」となった小川さんは、ニューヨーク、東京などで何度も会うチャンスに恵まれた。そうしたときは、正式なインタヴューというよりも、マイルスが話すことをただ聴くだけだった。テープに録音することもできなかった。
 
マイルスに呼びつけられて部屋に行く。しかし、早く帰ろうものなら、怒られる。あんまりだらだら長くいても機嫌が悪くなる。どのタイミングで席をはずせばいいのか、まさに「あうんの呼吸」だと小川さんは言う。
 
マイルスと時間を過ごす時に、してはいけないことがある、と言う。それは質問をしてはならない、ということだ。ただひたすら、マイルスが話したいと思うことを自由に話してもらう、こちらはただ単純にうなずくだけ。うなずきは、最高のコミュニケーションである。
 
なぜ(Why)、何を(What)、どうした(How)、いつ(When)などから始まるいわゆる「5W1H」の言葉はタブーだ。それでも、時に興味が深まり、そうした言葉を発してしまうこともある。すると、マイルスからは、強烈な答えが返ってくる。「ソー・ホワット(So what...)(だから何なんだ?)」(マイルスの代表曲のタイトルと同じ) この言葉がマイルスの口から出たら、誰もそれ以上先には進めない。「僕は一度だけ、マイルスに『ソー・ホワット…』を言われました…」と小川さん。
 
■ 「ソー・ホワット」はアルバム『カインド・オブ・ブルー』に
 
カインド・オブ・ブルー
https://amzn.to/3CUnekN
 
マイルスは質問をしなくても、自由にその時の気分で昔話をどんどんしてくる。だが、小川さんはメモも取らなければ、テープも取らない。「いろんな話をしてくれるから、彼の部屋から出たら、すぐ必死になって思い出して、メモするんですよ」 そうしたメモの積み重ねが、『マイルス・デイヴィスの真実』に結集した。この「部屋を出たら、速攻メモする」という気持ちが痛いほどわかる。僕もそういうときに同じだからだ。
 
僕自身、かつてジェームス・ブラウンと食事をしたとき、別れた後、速攻メモをした。そうして書いたのがこれ↓ 大体メモを書き出すといろいろと思い出すもの。
2003/10/06 (Mon)
I Ate Chicken With James Brown (Part 1)

 
 
リンクがうまく開かないときは、コピー&ペーストしてアクセスしてください)
 
マイルスはせっかちだという。「たとえば、彼の家に電話をするでしょう。(時間があるときは)彼は『今すぐ来い』って言うんですよ。だから、こちらの準備が整っているときは、彼のアパートの前にある公衆電話から電話をするんです。そうすれば、今すぐ来い、と言われても、すぐに行けますからね。10分で気が変わっちゃって、もう今日は会わない、なんてこともありますから」
 
マイルスの自宅前の公衆電話は、小川さんにとってマイルスへのホットラインになった。
 
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傘。
 
マイルスはことのほか優しい人だ、と小川さんは言う。こんなエピソードを披露してくれた。
 
あるとき、ニューヨークのマイルスの家を訪ねた。ちょうど昼過ぎでマイルスからは、どこかに何かを食べに行こうと誘われた。とは言われても、ニューヨークで超有名人のマイルスと日本人が2人で食事をしていたら、これは目立つ。小川さんは躊躇し、丁重に断る。するとマイルスは、家の近くにおいしいハンバーガーを出すようなデリがあるから、そこから持ち帰り(テイクアウト)で買ってきて、家で食べようと提案した。小川さんがその店に買いに出た。マイルスのお使いである。
 
ワンブロックもいかないすぐ近くの店で、小川さんがテイクアウトすると、まもなくパラパラと雨が降ってきた。次第に強くなり、「困ったなあ」と思いながらも、「まあ、ニューヨークの通り雨だから、すぐに止むだろう」としばし店で雨宿りをしていた。
 
するとなんと、通りの向こうから傘を差したマイルスが小川さん用の傘を1本片手に持って、店の方に向かってくるではないか。小川さんが雨に濡れると思ってとことこと傘を持ってきたのだ。小川さんはさすがに巨匠マイルスに傘を持ってこさせて恐縮した。「いやあ、ほんとにそんなことまでしてもらわなくても、すいません」と言うと、マイルスはきっぱり言った。「(この雨で)お前に風邪をひかれて、オレの責任になっては困るからな」 
 
その話を聞いた僕と内田さん、思わず「おおおおっ~~!」と感嘆の声をあげた。内田さん、「(今の話し聞いて)涙、出そうになりましたよ」。こういう話、僕も最高に大好きである。小川さんから、生で聞いているだけで、大興奮する。
 
僕はそのマイルスのセリフを聞いた瞬間、ジェームス・ブラウンみたいだと思った。ミスター・ブラウンも、ある程度打ち解けた仲間(ファミリー)に対して、異様なほどに優しく、気を使う。敵に対しては、鋼鉄の鎧(よろい)を纏(まと)うが、味方(ファミリー、仲間)には徹底して尽くし、優しい。マイルスってきっと、仲間内に対する接し方がジェームス・ブラウンみたいなんだろうな、と想像した。
 
マイルスとジェームス・ブラウンに黒人としての同じ匂い(ファンキーさ)を感じるが、もし違いがあるとすれば、ミスター・ブラウンは取り巻きを大勢置く一方、マイルスはどちらかというと一匹狼的に動くような気がした。また、ブラウンはほとんど教育を受けることもなく、ストリート叩き上げだが、マイルスは父が医者だったこともあり裕福な家に育ち教育も受けた。ブラウンはストリートから、物を覚え自ら知識を獲得していった。マイルスは教育はあったが、ストリートからも学んでいった。出自は違うが、手にしたものは2人とも似ていた。そういえば、小川さんは、ジェームス・ブラウンのニューヨークで行われた葬儀のパブリック・ヴューイングに参列している。
 
こうして、小川さんは、マイルスに傘を持ってこさせた男となった。マイルスにお使いに行かされるも、迎えに来させた男でもある。
 
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ボクシング。
 
マイルスが優しいという話をもうひとつ。あるとき、彼が日本に来て、ホテルで小川さん、中山(康樹=マイルス・デイビス自叙伝・翻訳者、元スイング・ジャーナル編集長)さんらとルームサーヴィスを取って食事をすることになった。マイルスがいろいろ注文をしてくれ、その食事が到着すると、彼らに「さあ、食べろ」と促す。最初は遠慮しつつも、残しても悪いと思うので、彼らは食べる。すると、マイルスはそっと隣のベッドルームに行って、電話でルームサーヴィスの追加を注文しているのだ。心を許した仲間にはことの他優しい。
 
マイルスは5歳くらいまで、自分が黒人であることを意識したことがなかった、という。それまで人種差別に無縁だった。父が医師で裕福な環境に育ったからだ。小川さんとマイルスが意気投合したのには、小川さんの父も、マイルスの父もともに医者だったということもあるのではないだろうか、と小川さんは分析する。
 
他にも小川さんがボクシング好きだったことなども、マイルスとその話題で盛り上がることができた、という。小川さん情報によると、ファンク・グループ、キャメオのリーダー、ラリー・ブラックモンの父親が、人気ボクサー、シュガー・レイの持つジムのトレーナーだったそうだ。ボクシング好きのマイルスは、ラリーの父であるそのトレーナーについていたという。そういう経緯もあって、1988年のキャメオのアルバム『マチズモ』内の「イン・ザ・ナイト」という曲で、マイルスはトランペットを吹いている。
 
60年代歌謡ポップス、グループ・サウンズから、マイルス・デイヴィス、はては、ジェームス・ブラウン、キャメオまで。その守備範囲の広さに、改めて感服だ。
 
小川さんは、僕が途中でどんなに突っ込んだ質問をしても、決して「ソー・ホワット…」とは言わなかった。いい人だ。
 
(とりあえず、この項、一旦休憩=(笑))
 
■ 「マイルス・デイヴィスの真実」(小川隆夫・著)(さらなるエピソードはこちらの著作で)
 
 
 
マイルス・デイヴィスの真実 (文庫)
小川 隆夫

 
 
■CD
 

 
小川さんがメンバーとして活動するセリム・スリヴ・エレメンツの最新作
 
VOICE
SELIM SLIVE ELEMENTZ
OCTAVE/FLATOUT (2019-08-07)

 
■小川隆夫さん著作(一部)
 

 
伝説のライヴ・イン・ジャパン 記憶と記録でひもとくジャズ史
小川 隆夫
シンコーミュージック
 

 

 
ジャズ超名盤研究
小川 隆夫
シンコーミュージック

 
改訂版ブルーノートの真実
小川 隆夫
東京キララ社 (2019-08-31)

 
ジャズ超名盤研究 2
小川 隆夫
シンコーミュージック

 
マイルス・デイヴィスの真実 (講談社+α文庫)
小川 隆夫
講談社

 
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