【fuka】樋口円香を読んで出力された存在しない幕間

  夜半、浅倉透は自室の扉を開けた。決して健康に対しての意識が高いわけでもなく、真面目な性格とは言い難い彼女は夜更かしをする機会が少なくはない、しかし家族が寝静まった深夜に明るい自室から暗く、ひやりとした廊下に出る心地には慣れていなかった。彼女にとって平時は明るく家族の声が聞こえる空間も、今は自室から漏れた光に照らされた廊下が、暗闇へと繋がる橋のようにも見える。この橋の先に繋がるのは見慣れた階段なのか、それともーーー
「見えない、なんも」
  暗闇に何を感じたのか、一人呟いた浅倉透であったが背後から返事があった。
「早く行って、ぶつかる」
  そう後ろから急かすのは彼女の幼馴染、樋口円香。彼女らは2人で海外ドラマの一気見を突発的に敢行し、今はその息抜きとして台所へと食糧調達に向かう所であった。
「へいへい」
  空腹のせいか、それとも眠気の為か、いつもよりブスッとした声の樋口に浅倉は生返事を返しながら薄暗い廊下を台所に向かって進み始めた。
「あかり、付けないの?」
  樋口は階段脇のスイッチを弄りながら先に階段を降りている浅倉に声をかけた、彼女は幼少の頃から浅倉の家に遊びにきている為、薄明かりの中であっても問題なく浅倉透の後をついて行けるとは思うが、それでも暗闇の中の階段は足を踏み外しそうで怖い。
「あー、まぁ一緒だし大丈夫かなって」
  一緒なら何が大丈夫なんだろう、2人とも怪我をしたらどうするつもりか。とツッコミたくなった樋口であったが深く考えるのを辞めた、浅倉透とはよくこのようなわからないことを言うの人間なのである。

「ふぁ……なんにする?」
  台所へと到着し、浅倉は欠伸をしながら冷蔵庫の中を物色していた。
  冷蔵庫の中身は豆腐、納豆、ヨーグルト、チーズとタンパク質多めの食材ばかりだ。アイドルも身体が資本、運動部並みのトレーニングを日々こなす浅倉透を気遣っての買い置きである事は見て取れるが、夜更けに消化に悪いタンパク質を摂取するのは睡眠の質を低下させるなと樋口は黙考する。
「ご飯、余り…と鮭フレーク」
「じゃあ、お茶漬けにする?」
  樋口はありあわせの食材から消化によく、浅倉でも事故を起こさずに料理が出来そうなメニューを提案する。
「いいね、頼んだ」
「えっ、私が作るの?」
  今更客人がどうこうと言うつもりはないがハナから丸投げというのはどうだろうか?じゃんけんか何かで押し付けようかと考えるが、今の寝ぼけまなこな浅倉ならお湯を沸かす程度で何かを起こしかねない、そう考えて調理を引き受ける。調理といってもお湯を沸かしたら後は茶碗に盛る程度である、私ならば何か起こしようもない。

  お茶漬けの調理を始めた樋口円香を、頬杖をつきながら浅倉透は眺めていた。樋口は幼い頃よりずっと一緒にいた友人ではあるが、当然ながら浅倉家の台所で調理をすることなど片手で数えるほどしかない。いつも調理場に立つ母の姿を思い浮かべながら、火にかけたやかんを余裕の無さからかじっと見つめる樋口の様子を眺める。明らかに調理慣れしていない彼女の姿にか、あるいは彼女が自宅の台所に立っている違和感にか彼女はくすりと笑った。
  お茶漬けが出来たらしく、樋口は2人分の茶碗を食卓のテーブルと運んできた。
「へいおまち」
  お茶漬けから立ち上る緑茶の香りと共に樋口から浅倉家のシャンプーの匂いがふわりと香る。
「大将、いい仕事するね」
「せめて一口食べてから言ってくれる?」
  軽口を叩きながらお茶漬けを2人して啜り始める。昔馴染みの友人との、新鮮な食事を前に彼女は考える。今の樋口は家族みたいになったみたいだ、浅倉樋口。うーん違和感。違う、浅倉円香。やっぱり変だ。でも、樋口が浅倉になったら、どこに行くんだろう樋口は。
  さっきまで見ていた海外ドラマと、暗闇へ繋がる廊下のことをぼんやりと考えながら、2人は黙ってお茶漬けを啜った。


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