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正しい世界

人間は我儘であるべきだ

少し前のことになるが、オードリーの春日さんが水族館のペンギンの池に落ちて炎上していた
番組と水族館側でどんなやり取りがあったのか分からないが、水族館側が声明文を出していた以上、何かしらすれ違いはあったのだろう
是正すべきところは是正してほしい

私が気になっているのは、今回の炎上に関するネット上のコメントだ
曰く、かつての回転寿司の迷惑行為と一緒じゃないかと
まったくもって意味がわからなかった

この意見を述べていた人々の理論としては、同じく迷惑行為をしているのだから同一の処罰をくだされるべきだと
この理論ではすべての迷惑と考えられる行為は罰せられるべきだということなんだろうか

私の考えを言うならば、自分に被害が及ぶ可能性のある迷惑行為は糾弾されるべきである、に尽きる
最低の人間に聞こえるかもしれないが、むしろ人間とはこういうものではなかっただろうか

すべての誰にとってかわからない迷惑行為まで声を大にして批判を舌先にある世界はどういったものなんだろうか
正しさしかない世界、それは理想なのかもしれない
昨今のAIの発達を考えると、こういった思想の統制を行っているのではないかと考えてしまう、いわゆる均しとでも言うのだろうか

AIの判断は基本的には正解を最短で導く、そしてそこには従来の人間では拒否反応が出ることもあるだろう
しかしそれを乗り越えるため、思考を従順にさせるために正しさを求める世界を敷衍しているのではないかという気がしてくる

最近AIについて考えすぎているからこんなファンタジーじみた妄想をしてしまうのかもしれない

とはいえ今回の春日の炎上は本当に気に食わない
何故こんなにもやもやが強いのか

正しさの行使が露骨すぎるのか
圧倒的正しさで人を叩くことはそんなにも快感なのだろうか
その先を考えることはないのだろうか

いつか求めすぎた正しさは自分の首を締めることになるのではないだろうか
なんとなく書いていて分かってきたが、私は余裕のない世界が窮屈に感じるのかもしれない

やはり文章を書くことはいいことだ思考の整理になる

私は文章を書くことが好きだ
このnoteを始める前にもとりとめのない文章を延々とライブドアブログで書いていた
文章を書くことは思考の整理になるし、ストレスの発散にもなる

言葉で感情を固定化することで気落ち悪さをなくしているのだろう
人間は行為が先行して、その後、その行為を正当化するために思考を作り上げると読んだことがある

特に関係性のない人の願い事を聞いてしまった時に、なんでこんな願いを聞いてしまったのだろうか→そうか私はその人のことを好意的に思っているんだ、好きな人の願いを聞くのは当たり前のことだ、という風に
日常において、甘えまくる女の子のほうがモテるのはこの理論
もっとも難易度の高すぎるお願いをしてしまうと断られてしまうので注意が必要だが

閑話休題、今回も文章を書くことで思考を整理できた
私はお笑いが好きなので春日の炎上を快くなく思っていたのだと考えていたのだが、その先、余裕のない世界になるのが怖いのだ
この心のもやもやはそんな世界が近づいていることに対する不安なのだ
そんな世界ではお笑いという文化は存在しないのだろう、もしかしたら娯楽すら存在しなくなるのかもしれない

他の可能性として、単純にそんな世界に私が適応できないのではないかという考え
将来が心配でならない、20代の頃はそんな不安を感じたことはなかったのに、これが老いか

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