見出し画像

働くと生きるに迷う年代は辛い

幸せとは働かないことではなく、幸せとは家事も含め働いて誰かに必要とされることと気がついてからは息をするように仕事をしようと思いました。

周りにどう見られているかよりは、自分のクライアントに必要とされているかを見るようにしたら、褒められているかより担当できることに感謝できるようになりました。

気づくまでに約10年がかかりました。だから働くが身についてない間は「向いてないかも」「楽して儲かる仕事がしたい」「休みたい」「理不尽」「辞めたい」とか、隣の席の人に役に立ちたいどころか、感謝もなく隣の席の人が10分早く帰ることに文句ばかり言っていた気がします。

私はそのあとに仕事って自分が選んでる、人生は自分の潜在脳が決めていると理解したので少しずつラクになりました。少なくとも人のせいにしなくなってからは、余計なイライラは減りました。

できないイライラ、できないを隠す開き直り、認められない苛立ち、できる人への嫉妬、仕事帰りの愚痴、会社への悪口。これってみんな通る道かもしれません。全て自分のせいだと気づいてからは一度も仕事を辞めようと思ったことがなく、これだけでストレスが減りました。

だからnoteを書いています。苦しくて苦しくてもどかしくて逃げたくなって、でも嫌いじゃないしできるようになりたい仕事に向き合っていく楽しさを。40年働いてもまだまだ毎日が楽しいとということを書きたいと思います。仕事は業種ではなく誰と働くかだと言うことを。

どんな仕事も上があり先があります。趣味のない私が唯一長くやり続けることができたのは奥が深いからです。時代は変わりコミニュケーションは変わり、価値観も変わりますが誰かに必要とされる幸せは変わらないと思います。

読んで頂きありがとうございました。仕事が身につくまではみんな辛いけど、楽しみを見つけてください。誰かのせいにしてつまらない顔で居酒屋で愚痴を言うのは本人が一番辛く、朝が来るのがつまらないんです。一度きりの人生がつまらなくならないようにしたいですね 

成功は有名になったりお金持ちになることではなく自分の人生と役割に感謝できることかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?