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してもらって当たり前が変わった瞬間

子どもの頃は朝起きて母親が「朝ご飯を作るのが当たり前」。学校に行けば「先生が親切に教えてくれるのが当たり前」そこに行かせてくれる親は毎日優しくしてくれました。この当たり前を繰り返し繰り返し日々行うことが、実は母の日々の苦労と愛の賜物だと気づいたときは母はもうこの世にいませんでした。私が29歳のときに亡くなりました。「ありがとう」を言う間もなく居間で亡くなってしまいました。

仕事を始めた当初は「教えてもらって当たり前」「机があって当たり前」「給料を貰って当たり前」日々通っているだけでそこで働いている先輩の苦労だけでなく、その技術や会社の伝統なども理解できませんでした。

そしてバブル後に息をするのも忙しいと思える数年を経てやっと自分のチカラの無さを受け入れて、かつ周りの方のチカラで支えられ自分が働けているんだと知った33歳のとき「ああ仕事って人に役にたってお金を貰うもの」「一緒に働く人に認められるって楽しいな」「お任せしますと言われるって面白いな」とやっと気がつきました。遅いデビューです。

誰にやらされているのではなくて、自分でやっていることなのに、いつのまにかできない自分をすり替えて「周りが悪い」思い込んでいたのです。当時のクライアントや仲間とは30年経過した今もお付き合いがあります。あのときの量と目の前の課題をくれていたら今があります。

当時は勝手に「できない自分」を素直に認められなかったのです。本当にすみませんの気持ちです。「お金を貰って成長できる唯一のもの」と考えて「これがやりたい」ではなくて「これができるようになると喜ばれるもの」を仕事にしてストレスが100分の1になっていきました。

仕事は金を得るものと割り切れることは実はなかなか難しい。それができないからみんな悩むのです。起きている時間のほとんどを過ごす仕事が皆さんにとってやりがいにつながるといいですよね。読んで頂きありがとうございました。



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