ウイズコロナで当たり前の価値を知る
ウイズコロナの時代に多くの若者が「当たり前の日常がある日突然変わることもある」。「当たり前は当たり前じゃなかった」。それに気がついたことはとてもよかったことだと思います。
学生時代は親が作ったお弁当を毎朝もって学校に行き、週末は部活の試合のためにお小遣いをくれてかつスマホの料金を払ってくれるのが当たり前でした。新社会人になったらアドレスが設定されたPCが自分の席の上に置いてあり、周りが教育してくれて、交通費が支給されて25日に当たり前に給与が振りこまれて夏と冬にはボーナスお盆と正月には長いお休みがあってが当たり前のように繰り返されてきました。
駅行けばスイカで改札を入り、電車が定時運行し、銀行のATMではいつもお金が下ろせてコンビニにはたくさんの商品がある。病院に行けばいつも清潔で笑顔で迎えてくれるスタッフがいる。
この当たり前の日常を守るためにいろんな人が歯を食いしばって働いていてそれが凄いことなんだと理解できるまでに相当時間がかかりました。それに感謝できてどこに行っても心からの「ありがとうございます」「お疲れ様でした」と素直に言えるようになったのは会社をはじめてからかもしれません。
まったく揺るがないと思っていた社会インフラのひとつ。交通機関の売上が下がるという過去にないことが起こっています。産業革命時代のような今を体感するにつけ「当たり前」を「当たり前」に思っていたこと。「安定」という同調心理に近い安心感がもう続かないことがわかってきました。
幸せとは働いて誰かに必要とされること。企業もそうだと思います。誰かに必要とされるなければなりません。これをマーケティング用語で「ニーズ」というコトバになるのかもしれませんが・・。食とヘルスケア。この業界に特化して「当たり前」を支える人に必要とされるサービスを提供しています。
今は働く人や生活者の意識の大きな波が動いている不安の時代。20代と30代に誰もが陥る「自分がどうなりたいがわからない不安感」。40代ではじまる「このまま終われない」という焦燥感に寄り添いたいと思います。
読んで頂きありがとうございました。一度きりの人生です。仕事そのものに向き合うその「当たり前」を今こそ取り戻してくださいね。幸せになるために