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寅に翼の石田ゆりこが演じる日本のお母さんの理想形と心配性について

朝ドラが好きです。石田ゆり子演じる主人公の優しい心配性のお母さんが亡くなって淋しいです。さらにやはりなんですが同級生のよねちゃんは主人公が心から好きだったんですね。切ない。

我が家も記憶にある限り、両親が喧嘩をしているのを見たことがありません。たいして良い子でもないのに、両親から怒られたことも声を荒げられたこともありません。耳元で小さな声で「生まれてきてくれてありがとう」と何度も言われた記憶があります。

強いて言えば、ひたすら心配性ではありました。淋しくないか、不自由していないか、辛くはないか、お腹が空いてはいないか、健康か・・。私の小さな目の奥二重の幅で風邪をみつけるのも母でした。いつもいつも心配してくれたような気がしています。社会人になった私が満員電車に乗るのが可哀そうだと泣いていました。

子どもの頃は、転校生だったのであまり友達と遊ばず1人で図書館で本ばかり読んでいたと思います。テレビが見られるようになってからはひたすらテレビ。ドラマなら「細腕繁盛記」や「2丁目3番地」。バラエティなら圧倒的に「ゲハゲバ90分」と「アッコの噂のチャンネル」と「11PM」を見ていました。巨泉さんが今の私をカタチづくっていると思います。テレビ好きな私に好きなだけテレビを見せてくれたのも母でした。

私服かつメイクまでが自由な都立高校時代。おしゃれで、新しいものを求めてどこにでも行く、先端の服はどうしてでも手に入れる。そんなミーハーな学校に行った私に服をたくさん作ってくれました。当時はジェームスディーン、アメリカングラフティー、グリースなどのアメリカ50年代映画ブーム。50代ファッションが好きでしたが、市販されていないので映画に出てくるワンピースをたくさん新聞紙で型紙を作り縫ってくれました。古着のリーバイス501のジーパンを履いてサドルシューズ。それに合う古着風のレタードカーディガンも手編みでよく編んでくれました。

それを着て吉祥寺のコパカフェ、チャチャハウス、マッチボックス、西洋乞食で毎日、インベーダしたり、母の手作りの服を着て夜中までディスコで友達と遊ぶ私をニコニコと見守ってくれていました。

子どもに服を作ったりお弁当を作るのが何よりも幸せだったのかもしれません。また20歳過ぎてお茶とお花をやるためにいずれ、嫁入り道具になるかもと呉服屋さんに二人で行き訪問着を何枚かしつらえてくれました。その時の母は一番幸せそうでした。作った沖縄の紅型デザインの紫の訪問着は兄の結婚式に母がきせてくれました。

母は33年前に57歳で、突然自宅で亡くなりました。母が亡くなるのを誰も見ていないのでなかなか信じがたく、しばらくは涙さえ出ないほど呆然としました。父は90歳。両親がどちらも突然亡くなったので、あまり親孝行ができていません。

だから若いスタッフが、ご両親と、旅に行ったとか帰省したか、ライブに行ったという話を聞くのが大好きです。私よりもずっと若いご両親たちが、どんなに愛して育ててきたか、祈るように毎日過ごしているのかがわかるからです。

そんなご両親から大切なご家族を預かっている責任をいつも感じます。幸せと自立が一番の親孝行だなあと思います。いつの時代でも誰でも人生はお母さんの笑顔とともにあるんだと思います。

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