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ウソでしょ!初めての高野山、マサカの信長の墓!②

ウソでしょ!初めての高野山マサカの信長の墓!②

高野山の聖地エリアの一つが、弘法大師の御廟がある奥之院です。
高野山の奥の院に向かう道はお墓がワンサカ!(笑)


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あれほど、戦いに明け暮れた戦国武将のお墓が、陣取り合戦のように林立しています。誰でも受け入れる高野山のようですが、ナゼ武将たちはこぞって墓を建てたのか?

そのわけは?

弘法大師は入定に際し、「われ、閉目ののちは兜率天に往生し、弥勒慈尊の御前に仕え、五十億余年ののち、必す慈尊とともに下生せん」と弟子たちに遺言されたと伝わっています。弥勒菩薩が現れた時に三度にわたって説法をするのですが、その一カ所が高野山だと言われています。

つまり戦国武将たちは56億7千万年後のこの日のために、弘法大師御廟前の参道で席取りに励まれているのです。

56億年後のことまで、気にしてたの?そんなこと気にするなら、戦争とか、国盗り合戦なんかで、百姓駆り立てて、無駄に人殺ししたり、切腹したりなんてナンセンスでしたよね>浅野内匠頭の墓もありましたよ・・・

しかし、56億年後のお釈迦様の説法ライブのために場所取り・・・

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こればかりは代理で小姓に並ばせるわけにもいかず、魔王・信長も自ら並んでおられます。


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死後の席取りに励む戦国武将の面々は、石田三成、豊臣秀吉、明智光秀、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信、戦国時代の武将は全員集合しているかもしれません。

奥之院の参道には武将たちの供養塔や墓、なんと約20万基が所狭しと立ち並んでいます。

また、天皇家は別格で、門があり、そこから先は宮内庁の管轄と聞きました。

武将の墓・供養塔をめぐりは、一の橋から杉が鬱蒼と生い茂る参道を約2Km歩きます。見ごたえありました。(笑)


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ガイドさんは、この五輪塔は人間の形を表している、とも言っていました。が、五輪塔は、空、風、火、水、地をも表していて、それぞれの石に梵字(サンスクリット文字)が刻まれています。


私たち一般人の四角い墓は、五輪塔の一番下の四角い石の形とも聞きました。つまり、それって「下半身だけ」ってことかしら?

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