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①ことたまのさきはふくに「コトタマ学」の沼へ

①ことたまのさきはふくに「コトタマ学」の沼へ

最近では「言霊」という言葉がよく使われるようになりました。

例えば「ありがとう」という言霊には不思議な力がある……と
いうような使われ方をします。

でも実際にぶつぶつと、「ありがとう」を繰り返してお念仏している方って
「引き寄せたくてたまらない」というチープさが露出していて、最近は良く思われていない。

ありがとうと言うと、感謝できることを「引き寄せ」というのが定番の解釈ですが、予祝と一緒で私はあまり感心できません。

だって、「今を生きる」派ですし、

神頼みの違うやり方、つまり「言霊」の使い方をマスターしつつあるから。

これからお伝えするのはもっと深い内容です。

私はプロテスタント系女子校の出身なので、聖書は毎日読んでました。

かつては・・・そちらに

洗脳されそうで、洗脳されずに済んだのは、脳ミソがニッポン人だったから。

聖書に戻りますと、初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。言葉は神であった。

新約聖書『ヨハネによる福音書』の冒頭です。

この「言葉」というのを、単純に言葉と解釈してイイワケではありませんが
言葉が神であるといっています。

さて、我が国ニッポンは

ことたまのさきはふくに

『万葉集』のなかで、


山上憶良は「言霊のさきはふくに」
と表現しています。

言霊=コトタマ

言葉は神であるという定義づけね!

つぎは、『万葉集』柿本人麻呂の和歌です。

敷島の倭の国は言霊の佐くる国ぞま幸くありこそ

佐くる=「咲くる」「先る」

『万葉集』は日本人の上から下まで身分に関係なく「コトタマ」を使って
和歌を詠むことができる「超平和国家の宣言」でもあるの。

聖書や経典、洋の東西問わず、言霊の思想は広く扱われています。

けれど、みんな立派な教祖様の言葉で洗脳を目指してる。

※批判してないつもりです。

ニッポンは違うの!大和朝廷だって、「大いなる」「和」でしょ?

そういうわけで、名前の中に神がいる!といつも言うのは、

「コトタマ学」にハマって

言葉が神であるというだけでなく、

日本語の五十音は一音一音が神であると知ったから。

文字だけではなく「音」とも連動しているんです!

すっごーい!

そして、

神とは働きである

つまり

言葉=神=働き



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神といっても宗教とは一切関係ありません。

神とは働きのことです。

古来、八百万の神として尊ばれてきましたが、これは言い換えるなら
八百万の働きです。

森羅万象の尊い働きを、先人たちは神と称したのです。

すべての動きが神=エネルギーの活動だってこと、

そして言葉が神であり、日本語の五十音は100人の神様と対応しているの。

古事記は言霊の書なんですね。

五十音の、一音一音が神である。

このことが古事記に書いてあるの。

あなたの名前の中に住んでいる神様がいることを五十音の対応表を作ったので今後お伝えしていきますね!
と思っています。


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