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空海、天佑神助を引き寄せ遣唐使として「ギリギリ乗船」

空海、天佑神助を引き寄せて遣唐使「ギリギリ乗船」

空海は遣唐使として。わずか2年で唐から密教を持ち込んだように
さらっと伝えられていますが、


実は、そんなに簡単な事じゃなかったの。

空海は『大日経』はやっとのことで見ることができました。

これも、願いが周りのご縁によって、引き寄せられたんだったわね!

しかし「写し」だったので、誤字脱字がたくさんあったり、梵字で書かれていたため完璧に理解したとは納得できなかった。

それで空海はどうしても遣唐使として長安に行きたかったのですが
遣唐使が派遣されると聞いたのは、ほとんど遣唐使の選考が終わる時期。

第16時遣唐使派遣の詳しい情報が大安寺に入ってきたのは、遣唐大使に藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)が、任命された次の年だったのです。

遣唐使は前回の派遣以来、24 5年ぶりで803年に派遣される予定でした。

この時空海は29歳、最澄は36歳で既に国から遣唐使として派遣されることが決まっていました。

かたや


空海はまだ「ただの私度僧」の身分で国から僧として官許されていなかった。

第16次遣唐使派遣を知った空海は入唐を願いましたが、大学中退の上、
独学で身に付けた膨大な知識があるだけでした。

ようするに、

ただの仏教オタク。社会的には「プータロー」


遣唐使としての資格は1つもなかったのです。

しかし、空海の能力を知っている人たちが起死回生の策を講じてくれました。

時期を見て、空海に得度させるつもりだった勤操を始め、叔父の阿刀大足や、亡き佐伯今毛人の一族につながる有力な官僚たち、そして東大寺の別当などが、


それぞれの伝を頼って、遣唐使派遣に関与する階級の高い官僚に根回しをし
空海の入唐を願い出てくれた。

しかし、空海の遣唐使になりたい動機としての『大日経』の学びについては
知っている人が少なかったので、何のことを学ぶか納得していただけなかった。

そして


空海は遣唐使になることができず、遣唐使船が803年4月出航するのを
見送るしかなかったのです。

しかしながら、その遣唐使の船団が、出発して6日目に大風を伴う
激しい雨に遭遇し難破や漂流の恐れが生じました。

そのため、4隻の遣唐使船は引き返して第1船は太宰府に戻りました。

神風逆バージョン?


「もう行きたくない」と遣唐使をやめる人が何人もいたってこと・・・

そして遣唐使船の出航が、翌804年の7月まで延期され、乗組員や留学生の
欠員補充枠ができたの。

これこそ千載一遇のチャンス!


と再び空海の周りの人たちが関係者へ根回しをしました。

最初よりも時間が経ったので、空海を応援する人たちも
『大日経』についてスラスラと語れるようになっていて、

「仏教界にとって空海の派遣は必要である」と階級の高い官僚に
粘り強く力説して回りました。

中でも、桓武天皇にとりわけ可愛がられていた第3皇子の伊予親王に
阿刀大足が空海のことを後押しするよ呼びかけたため

伊予親王は「空海というのは大足の甥っ子でずば抜けた才能の持ち主であり、欠員補充の1人として適任だ」と天皇に奏上をしてくれました!

そういうわけで、

空海は異例中の異例扱いで、ギリギリ滑り込みセーフで
私費留学の遣唐使として唐にに行くことができたのです。

ギリギリセーフでしたので、空海は7月に出る遣唐使船に乗る
わずか3ヶ月前の4月に東大寺で出家得度をしました。

こんなふうに空海は、周りの方々の支援と伊予親王による奏上、
まさに天佑神助のおかげで遣唐使としてへ長安に行くことができたのです。

空海は熱烈に遣唐使になることを夢見ていましたが、最初の選考に漏れた時から、一切遣唐使のことを口にしなかったそうです

そのかわり


言霊としてここぞと言う時に発する一言にはとてつもないパワーがあることをご存じだった。

伝説では空海は、留学僧として唐に渡海する前、心願成就と
航海安全を祈念し一千巻もの般若心経を写経して奉納したと
伝えられています。


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「写経」「瞑想」「沈黙」することで、エネルギーを巨大化していたと想像します。般若心経を書きまくって「心願成就」を実現させた空海は
本当に凄いと思います。

インドでは沈黙する事でエネルギーの消費を抑えるという
修行があるらしく、10年も20年も喋らない僧がいるそうです。

それは、心の中で巨大なエネルギーを育て、言霊としてここぞと言う時に
発する一言に「起死回生」「天佑神助」のパワーがあるから。

よく、引き寄せの本に、夢実現のために、一度そのことを忘れる・・・不足している状態に意識が行かないようにするというハウトゥがありますが、

このことなんだなぁ、と空海の物語を読んで納得!

「般若心経」「真言」「瞑想」「エネルギー循環」という「引き寄せ」を使って、空海の精神エネルギーが周りの人を動かし、「遣唐使」になることができた。

唐でのミラクルな2年あまりも、帰国してからの1年もの大宰府留め置きも

全部ぜーんぶ、空海のエネルギーが「引き寄せ」たことだったんですね!

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