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空海の大学受験、、、、実は裏口ならぬ裏技・・・

空海の大学受験、実は裏口ならぬ裏技・・・

真魚は3年間叔父の阿刀大足から、みっちり漢籍を学んだおかげで、官吏養成の最高機関で、都に1つしかない大学に入学することができました。

大学は正式には大学寮という名前。

規定によれば、入学資格は主に五位以上の位階を持つすなわち
貴族の指定に限られていた。

また地方には、国ごとの地方の官吏を養成する国学と言う学校があり、
主に郡司の子弟を入学させていた。

いずれの学校も入学年齢は13歳以上16歳以下だった。

真魚の父は、郡司という地方官吏である。

だから空海も上京するまでは、讃岐の国の国学に入って学んでいた。

だが周囲の人々は才気あふれる空海に「大学に入れば中央の官僚になれる。
卒業後は、出世すれば佐伯家の名を上げて、一族に繁栄をもたらすことができる」と大学入学を強く勧めた。

その熱気にあおられて、真魚はその気になり、国学を退学して
15歳で上京し、叔父の阿刀大足のマンツーマン英才教育で、
3年間みっちり受験勉強した。

が、すでに18歳、実は大学の入学年齢を超えているんですね!

けれども、中央の檜舞台で伊予親王の侍講を務める叔父の大足が、
積極的に顔つなぎして

受験前年に没した佐伯今毛人の一族につながる中央の官僚勢力など
周囲の人々の賛同によって受験が許され、合格したの。

まさかの空海「裏技での受験&合格」

よく聞く話とはいえ、受験年齢制限を3歳オーバーしての受験・・・

なにやら、複雑な心境も致しますが、空海の「願い」が「引き寄せ」を
起こしたとも言えますし、

周りの期待と願望のエネルギーが道を開いたともいえるでしょう・・・

入学して、しばらくすると空海は、従5位以上の貴族の子弟だったら、
実は大学でなくても「官吏」に「二世議員」のようになれると知って・・
嫌気がさして大学中退しちゃうの!

陰位っていうシステムで、従五位以上の貴族の子弟と三位以上の貴族の孫は
21歳になると自動的に官僚になれる!というのがあったの・・・

この時代に、官僚では今毛人という一族の(不確かだけど)巨星ですら、
参議に昇任された時、藤原種次が天皇に直訴して、邪魔されて参議を辞めたことを知り

出自がすべてなのか?とアホらしくなったというのが実情だと
思います。

藤原一族でなくては、力があっても、出世はできないと思い知ることになった・・・

空海19歳での苦い挫折でした。


15才から3年間も、ハッキリ言って、現役東大教授にみっちり教えられた
知識量は、大学の教官以上のものだったようです。

そうでなければ「知識欲」を刺激されて、中退にはならなかったのでは、
と拝察いたします。

まぁ、


「天才の俺が3年間も無駄にした・・・」


と臍を噛む思いだったのかもしれません。

大学寮にはいくつかの科があった。
音韻科という外国学科もあり、漢字の発音や素読を教える
音博士という教官もいた。

空海は漢語の学習能力に優れすぎていて、今更なぁ、と音韻科には入らず、
明經科、に入った。

そこではいわば一般教養か、あるいは行政科のようなところで、
朝廷をはじめとする国レベルの官僚を養成するところ。

ここをススメたのはモチロン叔父の大足、無論、空海の両親や親族の意向を
汲んでのことだったでしょう。

この頃の大学はまだ旧都・平城京にあったので、
空海は今毛人の氏寺である「佐伯院」に寄宿できたのでした。

大学も入ったし、漢語もペラペラだしと実力は余すところなく見せつけれた。

頭の良い空海の事ですから、まず人脈づくりは「成った」と
考えたのかもしれません。

そのうえで、ドロップアウトして、空白の7年間を経て
遣唐使になるわけです。


うがった見方をすれば、天才空海は、地方から脱出して中央で「若き天才」というアピールをしに行ったのかもしれません。地方にいては遣唐使になるチャンスすら掴めないということで、最初の一歩を大学受験で成し遂げたのかもしれません。


遣唐使になるっていう選考、ここでも、やっぱり「裏技」と「超能力」を
使っているのです。

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