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13.とけゆく誤解

「あなたが薩摩から来たというのは本当ですか?」

会話の口火を切ったのは、淀殿の隣にいる女であった。年の頃はまだ10代であろうか、その後ろには少し年配の女性が2人座って皆で西郷の方を見ている。
とはいえ、睨み付けるというような目つきではなく、また、忌み嫌うわけでもなく、何かに追い込まれた焦りのようなものを感じる。

「はい、関ヶ原での大戦のあと、島津義弘公の御三男、島津家久さまが藩主となられた薩摩藩から参りました」

そのとき、菊子の顔色が変わった。同時に周りの女性たちも不思議そうな顔つきで口々につぶやく。

「いえひさ?」
「いえひさ…と?」
「いえひさとは誰じゃ…」

西郷は目を見開きハッと思い出し、急いで訂正する。

「これは申し訳ないことを、間違えました。忠恒(ただつね)公が藩主であられる薩摩藩から参りました」

その島津忠恒が家久と名前を変えるのはその3年後の慶長11年(1606年)のことである。家康から家の文字をもらうのだ。しかし、そんなことをここで言うわけにはいかないと西郷は言葉を飲んだ。

「名はなんと?」
「西郷隆盛と申します」
「年は?」

そのまどろっこしいやりとりに気が逸ったのか、菊子が口を開いた。

「島津といえば先の大戦のときにも三成に味方して徳川殿と戦ったと聞く。泗川ではお父上の義弘公と奮戦されたとも。まことに勇敢なこと。今は亡き太閤殿下も名護屋にてお喜びであったのを思い出す」
「いかにも」
「その島津がこの大阪城に何の用で忍び込むような真似をするのか」
「忍び込む?」
「そうじゃ。見たところ付きのものおらず、たったひとりで城内に立ち入るなどまるで忍びではないか」

西郷はたじろいだ。しかし、確かに客観的に見れば忍びに見えても仕方ない。

「これは私が悪うございました。少し誤解されているようですな」
「誤解?忍びでないというなら、では何を謀っておる!」
「いや、謀などは…ただ、目が覚めたらここにおりもうした…と言っても信じてはもらえませんでしょうが」
「なんと。薩摩で神隠しに合い、ここに飛んできたというか」

西郷は驚いた。この、いまだ自分でも信じられない状況を、淀殿は当たり前のように信じているようだ。この頃はまだ神仏や迷信というものが信じられていた時代だというのはわかる。しかしそれ以上に淀殿は信仰心が厚い。

秀吉の死後、関ヶ原が終わっても、息子の秀頼のために多くの寺社に寄進していることは歴史的にも有名で、もちろん西郷も知っている。

「はい、そのようで」
「その、髪型はどうしたのか」
「髷は落としております」
「仏に仕えておるのか」
「いえ、そういうわけでは」
「まるで南蛮人じゃな」

そう言って菊子は西郷の顔を初めてまじまじと見た。グリグリと大きな目に分厚い唇。話していることに嘘臭さを感じさせない、誠実な面持ちである。

「薩摩から来たと言うなら、薩摩焼きを知っておろうな」

菊子はその男が本当に薩摩の人間かどうか、試そうとしている。

「もちろん。黒千代香でのむ焼酎はまこと格別。西の丸さまも焼酎はお飲みになられますか?」
「お酒のようなものはあまり飲まぬが、近頃少し」
「気が重い時には少しは休まりますからな」

菊子は少し身構えた。なぜこの男は私が気鬱であることを知っているのか。

太閤殿下が亡くなられてから以降、世の中が徳川を中心に回るようになり、とはいえ、女子の自分はその流れに抗うつもりはないものの、我が子秀頼の行く末が気になり、常に不安な状態で気分が優れない。
神仏にすがろうと神社仏閣に寄進をするも、事態が好転する気配はなく、ましてや関ヶ原以降は大坂には五大老の誰も寄り付かぬようになった。

秀頼に天下を取らせたいとか、世の中の中心におりたいわけではない。そんなことはまったく考えたこともない。領地が減ったとはいえ、暮らしに困るようなこともなく、ましてや太閤殿下が貯めに貯めた大量の金塊がまだ大坂城には眠っている。

ただ、我が子の行末を案じるだけの力の弱い女子である。

そのことが西郷の目にも映った。これには西郷も少し驚きを隠せなかった。彼の知っている淀殿の印象というのは、徳川家康に立ち向かった女将軍、気鬱でヒステリックな女というイメージであった。

ところが今、目の前にいる女性はただしとやかに身なりを整え気品ある振る舞いをしているものの、得体の知れぬ自分のような男を見て少し怖がっているように見える。こんなか弱い女性が徳川家康に立ち向かうなどと考えられぬと西郷は感じた。

そこで直接的な質問を投げてみる。

「おふくろ様は、今も秀頼様が天下人たるべきだとお思いか」



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