「理想」は「現実」を前に散り、「紛い物」も「真実」を生む。─映画「ミッドナイトスワン」感想(ネタバレ注意)

こんにちは!季節の変わり目に鼻水が止まらないえびぽです。

今日は久しぶりに仕事を休んで映画館へ向かう事にしました。
平日の朝イチの映画館、人も少ないので安心安全のソーシャルディスタンスでした。やったじゃん。

目的の映画はこれです。

「ミッドナイトスワン」
https://www.youtube.com/watch?v=2O8-2DvOxiI(予告映像)

あらすじを聞いて「絶対面白いやつやん」と。
あと「絶対泣くやん」と。

期待半分を装い内心爆裂楽しみな気持ちでシアターに入ったわけです。

見た感想。

「は……???すご………(語彙消滅)」

東京の街の鬱屈とした絵面や、窮屈な場面構図が多く、情景1つ1つがいつも主人公であるトランスジェンダーの凪沙と、愛情に飢えて日々ままならない日々を送る少女一果(いちか)の心を写す鏡のようで。

特に思春期である一果を写す周囲の様子で「いま彼女がどんな気持ちなのか」というのがはっきり分かるようにできているのは本当にすごいなと思いました。

この映画、相反する二つのもので成り立っている構成で、いつも苦しさが伴う時はそのバランスがちぐはぐになっている時なんですよね…。

たとえば、凪沙が「あたし、学校の授業で海に言った時、なんでアタシは海パンでスク水じゃないんだって泣いちゃって、それ以来海には行ってないの」というセリフや、ホルモン注射を打って具合が悪くなりながら家に帰って一果の前で「なんで私ばかりこんな体で」と泣く場面など、『心の性別』と『体の性別』が違う為に理想と世間とのギャップ(ちぐはぐさ)に苦しめられているとか。

一果がバレエをやりたくて、なんとかそれを実現するために親に言えないようなアルバイトを友達から勧められるままやり、結局それも上手く行かずに「もういい」と言って諦め自傷するとか、「嫌だ」という意志表示が自他を傷つける暴力になって発露してしまうとか、『諦め』と『願望』の合間で波に揉まれる姿は『痛ましく』もあり『美しく』もあります。

アルバイトがバレ、自分を大事にしなさいよと叱られた際に一果は「関係ないじゃろ」と凪沙に猛反発するシーンでも、凪沙が一果を抱きしめながら言った「あたしらみたいなのはこういう風にしか生きていけん」(こういうニュアンスだった気がする)という言葉から、『現実』と『理想』とのギャップを埋めるために必要なものが圧倒的に足りな過ぎる自分を嘆きながらも、どこかで折り合いをつけて前に進もうと生きる凪沙の高潔な美しさが現れていたと思いますし、また同時に一果へ母性が芽生え始めた何かを守りたいと思う女性としての美しさも現れていたわけですよ。
まったく別の美しさを同じ場面で表現するヤバさ……何????

一果のバレエの才能の芽をつぶしたくない一心で、元仲間の紹介によって風俗で男と寝ようとするのですが、やはりそれだけは出来ず結局男として就職をすることになる凪沙…。

『母』になるために『心の女性』を殺すんですよ。

嫌……………………マジでキツイ……………………。

これからもっときつくなります(無慈悲)。

バレエの発表で「白鳥の湖」を踊ることになった一果。
その発表にネグレクトを行っていた母が来ていたこと、母と抱擁する一果を見たこと、それらがきっかけで凪沙はずっとためらっていた性転換手術を行うことになります。

しかし、女になって一果を迎えにいくものの、子供である一果に意思決定権は既になく治っていた自傷癖も再発しています。そして自分の実家で凪沙は母親に「病院に行って直してもらおう」と泣きつかれ、従姉である一果の母親には「化け物」となじられて東京に帰るのでした。

鬱エンドかよって思いましたか?

まだひどくなりますよ(無慈悲)。

中学を卒業した一果は先生の熱心は指導によって推薦をもらいバレエで海外の学校に通う事になりました。やったじゃん。
そして一果は母親に頼み、凪沙のいる東京へ行くことを許可されます。

新宿駅を抜け、裏通りにある寂れたアパートへ向かえば、そこには凪沙の姿がありました。

昔の面影はなく、局部から流れるとめどない血を紙おむつで止めて寝込んでいる凪沙の姿が。

ここで私は絶望しました。

私ィ!!!!「さよならちんちんウェルカムまんまん」(書籍で発売してます。性転換の体験エッセイです)で見て性転換受けた時に人口膣が壊死して病気につながる事があるの知ってたのでアッ…?って凪沙が手術にいった瞬間ちょっと思ったんですけどマジでそういう予想は当たらなくていいんだよ!!!!!!!なあ!!!!!!!って思いました!!!!!!!!

これは真面目な話なんですけど、一果は「現実」を「理想」に寄せそうとすればするほど実っていき、凪沙は「現実」を「理想」に寄せそうとすればするほど遠ざかっていくのを見て、「この二人もまた相反する存在だったんだ」と気づきました。名前の意味にも気づいたよ…マジで勘弁してくれよな…。

もう恐らく長くはないであろう凪沙に頼まれ、一果は彼女を海に連れていきます。

そこで凪沙は波打ち際を見て「みて、可愛い女の子」と指を差す。
当然そこには誰もいなく、一果は不安になる。
しかし凪沙の眼にはしっかりとスクール水着を着た少女の幻影がみえていました。
それはきっと彼女がなりたかった自分の姿だったのでしょう。
そこで、一果に凪沙は「あたし、学校の授業で海に言った時、なんでアタシは海パンでスク水じゃないんだって泣いちゃって、それ以来海には行ってないの」と冒頭のセリフを口にしました。
次いで凪沙は「見て、綺麗な白鳥」と海を指さします。
しかし、そこには何もない。
一果は凪沙にせがまれて砂浜で踊りました。

その姿を「綺麗」とつぶやき、凪沙は息を引き取ります。

それを確認した一果は、そのまま海へと向かい進み、腰まで浸かり…そのまま……。

………という事にはなりませんでした。

その後、場面は切り替わり一果が海外のコンクールに出る前の控室で海外の少女と話します。
「どの国から来たの?」
「日本よ」
「美しい国よね。私も行きたいわ」
「私もよ」
「え?」
「日本には一年以上帰っていないの」
「……日本から飛んで来た白鳥というわけね」
「…お互い頑張りましょう」

私はこのやりとりだけであと300回は泣けます。
凪沙は「母」になれなかったけど、本物の愛でどこへだって行ける「白鳥」を育てて見せたのだなと…。

一果は幕の後ろで「見てて」とつぶやき、舞台へと上がっていく。
そして、凪沙との日々を追想して踊るのは、白鳥の湖だった。

という物語でした。

私がマジですげえと思った理由なんですが、「白鳥の湖」って「オデット」と「オディール」という相反する善と悪の存在が王子の心を惑わせるんですよね…。

善の存在である美しい白鳥の姫と、その姿を真似て悪魔が作り出した虚構。
その二つが交錯して物語が進む演目なんです。

だからこそ「ミッドナイトスワン」のテーマは相反する二つの存在だったのだと思いますし、必ずその二つの摩擦で物語が進むのだなと。

そして、注目するのは白鳥の湖のエンディングなのですが…。
王子とオデットが湖に身を投げて来世で結ばれるっていう感じなんですよ。
でも凪沙と一果はそうはなれなかった。
凪沙が死んだのをみて一果は海へと行くのに、死ねなかった。

白鳥の湖と何もかもシチュエーションが違うからこそ、「理想の世界」である白鳥の湖と、「現実の世界」である二人の運命のままならなさが浮き彫りになるのだろうなって……。

ヒィーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!
マジで天才じゃないか?
内田英治監督ってすげえ。
私はそう思った。

これは私が心に残ってる場面なんですが、一果には転校して始めて友人になった女の子がいるのですが、その子は親が金を持っているばかりで愛に飢えている子で。自分自身を見てほしいという気持ちの表れなのか、非行を行いながらいい子の皮を被っている女の子です。
バレエ教室で一果が才能を開花されていくのに若干の嫉妬心と抱きながらも、一果に心を奪われていく彼女もまた、抑圧された現実と理想の狭間で苦しんでいる人間の1人でした。
彼女は脚の負傷によってバレエを続けられなくなり、母親からも事実上見放され、一果とも会えなくなってしまいます。
そして、一果のコンクールの日。
彼女は一果に「がんばって。さよなら」と残す。
そして一果の踊る演目の曲を流しながら今まさにビルのテラスで行われようとしている結婚式の会場で踊る。
周囲は始めこそ見ていたものの、披露宴が始まると一気に興味を失い、花嫁と花婿へと近づいていく。
そして彼女は微笑みながらくるくると優雅に体を操り、そして、ビルの屋上から高く高く飛んだのだった。

その瞬間を見ているものは、誰もいなく、だけど彼女はとても自由だった。

そのシーンを見た時「何?!!!?!?!??!?!?!?(情緒破壊)」ってなっちゃったんだよな…いや…ならんやつおるか…????????
めちゃくちゃ悲しいシーンなのにゾッとするほど美しい。

とんでもねえよミッドナイトスワン…。

是非この記事を見て気になった方は実際に映画館で見てください。
やばいので。
ヤバいと言えばこの後ショッピングなのにメイク崩しながら顔汁塗れにして泣いてた私の顔も同じくらいヤバかったです。






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