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資産家の御子息

「えびさん、この日お時間あるかしら?」

最近仕事で知り合った女性の先輩から、声をかけられました。ま、おっさんの私が先輩というくらいなので、そこそこ凄みのあるおばさんをご想像ください。

「お友達のシャンソンのコンサートなの。秋だし、どう?」

シャンソン?秋だし、どう?
意味が分かりません。

ウイキペディアによると『シャンソン(フランス語: chanson)とは 中世の吟遊詩人をルーツとした歌曲と、フランス語の歌曲の総称』という事ですが、自分のイメージする「シャンソン」は、メイクの濃い年配の歌手が、悲しげな人生を ぼそぼそ歌ったり、あとあれか、美輪明宏とかが歌う「愛の賛歌」みたいななんだかわからないけどド派手なやつ。
ま、いずれにしても今まで縁のなかったジャンルの音楽です。

で、お誘い、断り切れなかった…。

物見雄山で行った青山のライブハウス。100人くらい入る会場はいかにも金持ちっぽい人たちで賑わっています。聞くと、どうやらその歌手の方のご主人がなんかの会社の社長らしく、お友達ご夫婦とか、金持ちマダムの集団とかそんな感じの方が来ているようです。富裕層ここにありです。
先輩もこの社長と仕事がきっかけで知り合い「今は家族ぐるみのお付き合いなのよ」…らしいです。

コンサートはディナーショー形式。たいしてうまくもないグラスワインを飲んでいるとライブが始まりました。
ポスターの写真より10歳くらい老けた それでもやはり妙に色っぽい銀座のママ風の女性が出てきて、知らない曲を次々に歌います。
やはり「それが私の人生…されど人生」みたいなやつです。
これが!シャンソン!なのか!と聴いていたらわりとすぐ1部が終わりました。
で、まさかの30分もの休憩。なるほどここで追加のドリンクを頼んだりするのか。お店も儲かる、いわゆるご歓談タイムです。

しばらくすると先輩と私のテーブルに、その歌手の旦那さんでもある 例のどっかの社長がグラスを片手にやって来ました。「ようこそ」なんて言われて乾杯。「ども、初めまして」とか挨拶すると、それをきっかけに次から次にテーブルのまわりの方々の紹介が始まりました。
「こちら○○大学のなんとか先生」「こちらどこそこ病院の××先生と奥様」必ず紹介に肩書がつく方々です。
で、丁度私の斜め前にすわっていた男性の番になりました。30代半ばか…平成ノブシコブシの吉村を小綺麗にしてシュッとさせたような感じです。スリーピースの高そうなスーツを着ています。

「あ、えびさん、ご紹介しますね。こちら資産家の御子息の白鳥さん(仮名)」さらっと紹介されたものの、 ん!?となっていると、その白鳥さんが「こんばんは、よろしくお願いします!」と爽やかに握手を求めてきました。
世の中いろいろな肩書の方はいますが、資産家の御子息って紹介のされ方は初めてです。で、そう紹介されてもひるまず爽やかに握手を求めてくる白鳥さん。…。
ひきつった笑顔で握手をしていたら会場が暗くなり2部が始まりました。

話は突然変わります。

夏が終わるころから週末に学校に行き始めました。去年からやっていた勉強がひと段落して、ここで勉強癖を付けとくのも悪くないなと思ったからです。ある資格の学校なんですが、そのプログラムの中に「傾聴」というものがあります。

コトバンクによると「傾聴」とは…『相手のいうことを否定せず、耳も心も傾けて、話を「聴く」会話の技術。意識すべきは、相手に共感し、信頼していると示すこと』だそうです。
いわゆる人の話をちゃんと聞くという、カウンセリングの時なんかにも使う技術です。

で、学校では実際に「人の話を傾聴する」という授業があります。ただクラスが同じというだけで、年齢も性別も仕事もバラバラのあまり良く知らない人と毎回1対1で話をします。
「傾聴」は相手にどれだけ深い話をしてもらえるかが大切。だから自分の意見などをはさまず、丁寧に人の話を聴いていくわけですが、
たわいもない日常の話が、聴いていくといつの間にか普段その人が感じているもやもやみたいな話になり、そこからその人が抱えている悩みみたいな話になっていきます。
授業という事もあるんでしょうけど 相手があまりよく知らない人だから逆にいろいろ話せるのかもしれません。

考えてみると 大人になるとあまり自分の話を真剣に人にすることはないですよね。
なんか多少もやもやする事があっても 日々に流されていく間になんとなくどうにかなってたりするし。自分の事なんて 同僚や家族にいちいち話すもんでもなくね?と思ったりしているうちに 自分が感じた事や思いを口に出したりすることが減り、いろんな事が有耶無耶なるうちに どんどん自分の事も真剣に考えなくなるのかもしれません。ばたばたした毎日の中で、あんまり自分の事考えても意味ないような気すらしてきますし。

でもこの「傾聴」で うんうんと人の話を聴いてるとですね、ほんとうにみなさん実はいろいろな事を抱えているんだなという事がわかります。おじさんはおじさんなりに、主婦は主婦なりに、若者は若者なりに。
たぶん言葉にする事で 普段蓋をしていた感情が開くのか 中には話しながら泣いちゃったりする方もいて つられて涙ぐんだりもして、みんな一生懸命なんだなと、まさに人生いろいろ。しみじみ。

そうなんだよな。
シャンソンのコンサートに来ていた、セレブのご婦人も、どっかの大学のなんちゃら教授も、いろいろあるんですよ。たぶん。どんな人もね、生きていたらいろいろありますから。


シャンソンコンサートはアンコールの「愛の賛歌」の熱唱で幕を閉じました。最後石川さゆりの「天城越え」のあのポーズと顔をしていました。あ、チラシの顔、これだったのか。

拍手がまだ残る中、資産家の御子息の白鳥さんは「また、どこかでお会いしましたら」と微笑みながら爽やかに会釈をして、颯爽と会場から出ていきました。

結局何している人か最後までわからなかったな白鳥さん。

会場を出て、金木犀の香りのする夜風に吹かれながら駅までの道を歩きました。
歩きながら、白鳥さんの人生のいろいろをちょっとだけ想像しました。

「秋深し隣は何をする人ぞ」
たかが人生されど人生。
久しぶりにnoteを書いたら、無駄に長いし、まるで無理矢理シャンソンのような締めになってしまいお恥ずかしい限りです。

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