『ディストピアSF論』:第4章「災害ディストピア」とは?

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』をふまえている。ソルニットは一時的な災害による従来の秩序停止を指摘したが、SFの災害は半永久的なカタストロフィで、日常の回復は期待できない。しかも、インフラから崩壊したら、テクノロジーも維持できなくなる。

「監視はいやだ」「人工知能に支配される」という感情は、社会のインフラが前提とされる。文明がインフラごと崩壊しつつある時、種の生存を最優先する新秩序が勃興し、互いに生存闘争を繰り広げる。電気ガス水道インターネットがないと人間はあまりに無力だ。

『トリフィドの日』は失明+移動する植物。『猿の惑星』(新三部作)はパンデミック+知性化した猿。人類文明にとっての脅威は複合災害によってもたらされる。文明は自然との間に壁を作ってきたが、いまやその壁は崩壊し、人間も資源の一部として搾取される(バチガルピ『ねじまき少女』)。

「日本沈没」というディストピア的状況に「希望」を見出そうとしたテレビドラマ「希望のひと」は、しかし、あまりにご都合主義・楽観的で、希望の眼差しの裏にはディストピアがべったりとくっついている。国土喪失で難民化した日本人を、普遍的な人権概念で包摂しようとするが、原理的にできない(アガンベン)。

災害により、人が生きるために必要とする基本的な物質=ニーズを分配することが困難な社会はディストピアであろう。インフラを喪失すれば、プライバシーの侵害もAIの暴走も心配する必要がない。もっと生命活動に関わることに注意をむけなければ、個人はおろか種としての人間も生き残れない。

取り上げた作品
ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』
『猿の惑星』新三部作(『創世記』『新世紀』『聖戦記』)
パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』
テレビドラマ『日本沈没ー希望のひとー』
小松左京『日本沈没』
樋口真嗣(監督)『日本沈没』
湯浅政明(監督)『日本沈没2020』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?