作家と作品は別物なのか問題――ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』(早川書房)

これはスーパー名著だ。ダニエル・カーネマンは心理学者。古典的経済学が想定していた「合理的経済人(エコン、と彼は呼ぶ)」など実際には存在しておらず、私たちヒューマンは認知的なバイアスでもって世界を認識している。その結果が経済活動を含む様々な行動に現れている。心理学的な知見を経済学と合体させた行動経済学の研究者でもある。ノーベル経済学賞受賞。

本を読むのは好きなのだが、「この本、もっと早く読んでおけばよかったなー!!」と嬉しい後悔をすることがある。結局、読めたので嬉しいと言えば嬉しいのだが、それまで読まなかったので悔しさもある。というアンビバレンス。本書も私の中ではこの部類だ。名著であることは知っていたのだが…。

人間は、難しい問題を考えるときに考えやすい簡単な問題に(無意識に)すり替えて考えている。例えば、幸福度とデートの回数を尋ねるとき、①幸福度②デートの回数、と聞くのと、①デートの回数②幸福度と聞くのでは、幸福度の回答が変化する。①デートの回数を聞いた後に②幸福度を聞いた場合、あきらかにデートの回数が幸福度の回答に影響を与えているのだ。デートが少ない人は幸福度も少なく、多い人は幸福度も多くなる。本来はデートの回数と人間の幸福度は関係ないのだが、幸福度という難しい問題を考えること(カーネマンはシステム2=ファストな思考と呼ぶ)は認知的な負荷がかかるので、より簡単な問題に知らず知らずのうちにすり替えてしまう(システム2=スローな思考)。これをヒューリスティックという。

人間は合計よりも平均で考えたがるし、手元にある情報「のみ」で判断する。統計的なデータよりも、身近にある例に大きな影響を受け、割合よりもその数字の大小に評価がひっぱられる。例えば「アメリカでは年に1000人死んでいる」というほうが、「アメリカでの死亡率は年0.003%」というよりも「多く」思える。実際は同じ数を異なる数字で表現しているだけなのだが、私たちのシステム1は1000>0.003とファストな思考をしてしまう。

で、この本から得られる知見はたくさんある。とあるアーティストの過去の振る舞いが今やっている仕事に関連して問題にされていて、私はその人が本当に反省しているのであればそもそもそのような仕事を引き受けるわけはないと思うので、まあそもそも論外な話であるのだが、それはともかく「作家と作品は別だから切り離して考えないと」という議論もされていたので、ヒューリスティックを思い出した。ある作家が好きか嫌いかが、その作品の良い悪いの評価に直結させてしまうのもまた認知バイアスなのだ。批評的にも作家と作品は切り離せないという立場を私はとるが(切り離す立場もありえる)、一読者、一人間として、「作家と作品を結びつける傾向」というのは傾向としてあるのはカーネマンの教えるところだ。ややこしいのは、「だからそれで良い」というわけではないのだ。あることと、良しとすることもまた別。(2021年7月17日)

追記(2024年6月20日)

「あるミュージシャン」とは日付的に東京オリンピック開会式直前のごたごたで話題になった人だな。日付を見るまでわからなかった。そんなもんか。ファスト&スローは「二重過程理論」とも言われている、と最近、綿野恵太『みんな政治でバカになる』を読んで知った。インテリvs大衆と集団にサイズを拡張しても使える。万能すぎてなんでも使ってしまうのが、ファスト&スローの「ファストな図式」かもしれない。

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