子供が生まれなくなった惑星で――新井素子『チグリスとユーフラテス』(集英社文庫)

名前は知っていたが読んでいなかった作品。もっと早く読んでいればよかった、と思うほどに未読状態を後悔もしたが、こんなに面白い本があったのかと知れた喜びのほうが大きかかった。それぐらい傑作。本を読むことを趣味にしていると「これはっ!!」という作品に出会うことが結構むずかしい。名作・話題作はわりと読むし、自分の中での評価のハードルも上がってしまうので、出会いにくい&評価しにくい。のだが、新井素子『チグリスとユーフラテス』を(今さらながらに)知れたので、良かった。

舞台は人類の植民惑星ナイン。宇宙植民計画の9番目の惑星。地球の日本地方の人たちが主体となって入植した。惑星ナインは、入植200年後くらいから徐々に人口減が始まる。原因ははっきりとは特定されない。入植初期に使われた人工子宮ではないか、という説がある。では人工子宮を使わずに自然妊娠ならば良いのか、というと自然妊娠で生まれた子供がカップルとなっても、必ずしも子供ができるわけでもなかった。とにかく、入植直後は植民船のクルーたちの自然妊娠と、持参した精子&卵子を育てた人工子宮で、人口が爆発的に増えていったナインは、ここにきて社会の高齢化に直面する。一斉検査により生殖能力のある男女を「有資格者」認定し、労働から解放された特権階級として優遇する法律を整備するも、根本的な解決にはつながらない。それからさらに200年後、「最後の子供」として生まれたルナが、74歳の老婆となったのが物語のスタート地点だ。

ルナは、治療技術がない難病のためコールド・スリープに入った人を一人ずつ起こしていく。最初はマリア、次はダイアナ、そしてトモミ。「最後の子供」として育てられたルナは大人として成熟する必要がなく、逆に言えば子供でい続けることを強要された人間である。74歳の高齢にふさわしくない服装や言動をし、コールド・スリープから目覚めたものを戸惑わせる。

宇宙歴300年代に生き、ルナの母親と親しかったマリアは有資格者であった。しかし子供に恵まれることはなく、有資格者としての特権と義務、自分が子供を生めなかったという絶望、生きるための目標を失った状態だった。宇宙歴100年時代のダイアナは、惑星規模の不妊とは反対に、急激な人口増加に苦しんでいた。当時の特権階級である惑星管理局に勤め、有限の食料を惑星ナインの民にどう配分するのかという「命の選別」をしなければならない立場だ。彼女が行ってきた結果が、幼女のような老婆=ルナだと知った時、衝撃を受ける。トモミは本名・関口朋美。入植船に乗り込んだ35人の子孫にあたる、初期ナインの特権階級。彼女は画家として認められていたが、その評価には常に「特権」が付いて回る。

そうなのだ、コールド・スリープを利用することができるのは(当時の)特権階級に属する者たちだけなのだ。特権階級が時代によって変わっていくこと、しかし変わっていく中でも特権階級は「特権」であり、何らかの優遇、それはまた社会的な要求と表裏一体であるわけだが、その優遇/要求に常にさらされていること。さらには「最後の子供」ルナによって、彼らの特権/要求も儚いものであることが、次々に露呈する。

最後にルナが目覚めさせたのは、惑星ナインの女神、レイディ・アカリである。植民船のキャプテンを務めた龍一の配偶者にして、龍一の死後はナインの人びとの精神的な支えとなり、信仰の対象にさえなった存在。病気ではないが、人ではなく女神として、惑星ナインと運命を共にするためコールド・スリープについた。ルナは「どうしてママは最後の子供である自分を生んだのか」という疑問を抱いている。その問いに答えてくれる相手を探しているのだ。果たしてナインの女神たるアカリは、ルナの問いに答えられるのか。

当初は連作短編だったようだ。ふたを開けてみると、ハードカバー上下二段組500ページの大著が出来上がる。しかし、惑星ナインの400年の歴史を語るには、まだ足りない。ルナが4人のほかに眠りを覚ます必要は感じられないのだが(当初からこの4人について書く予定だったようだ)、まだまだナインの物語を聞きたいと思う。それほど惑星ナインとそこに生きた人々は、鮮明なものとして私の中に入り込んできた。 (2021年2月19日)

追記(2024年7月12日)

『チグリスとユーフラテス』論は拙著『ポストヒューマン宣言』に収録した。

惑星植民→人口爆発→少子化による人口減少と描いてしまう(描けてしまう)新井素子の技量、SFの射程の広さは驚く。実は『ディストピアSF論』でも註で言及している。ディストピア類型の1つとした「人口調整」が『チグリスとユーフラテス』の惑星管理局務めのダイアナのエピソードと重なる。



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