『ディストピアSF論』:第3章「人口調整ディストピア」とは?

市民の平和な生活のために、政府が人口を調整するディストピアのこと。星新一「生活維持省」や藤子・F・不二雄「定年退食」など、人口調整のテーマはむかしからある。今と違うのは人口調整の理由だろう。むかしは人口爆発・環境破壊だったが、現代の日本であれば垣谷美雨『七十歳死亡法案、可決』、早川千絵(監督)『PLAN75』のように少子高齢化・福祉削減だ。瀧本知行(監督)『イキガミ』は「生命の価値」という抽象的な理念がおしだされるが、高見広春『バトル・ロワイヤル』的な「若者の根性叩き直す」系統に位置付けられる。

ある共同体が、その共同体維持のために、共同体内部に線をひき、こっち側は生き残り、あっち側は死ぬ、と分けることはできるのだろうか? もちろん、できない。してはならない。しかしSFで、本書でとりあげた作品以外にもたくさんの作品で、そのような共同体内部への線引き、《私たち》と《あいつら》の区別が、執拗に描かれてきた。たぶん、私たちの中にある「何か」が人口調整ディストピアを欲望しているのだろう。では、その「何か」とは何か?

ディストピアというと、監視や検閲、人工知能による統治がすぐに連想される。人口調整ディストピア、という切り口は、古いようで新しいものではないだろうか?

とりあげた作品

星新一「生活維持省」(『ボッコちゃん』新潮文庫)
藤子・F・不二雄「定年退食」(『異色短編集2 気楽に殺ろうよ』小学館文庫)
垣谷美雨『七十歳死亡法案、可決』(幻冬舎)
山田宗樹『百年法』(角川文庫)
瀧本知行(監督)『イキガミ』
早川千絵(監督)『PLAN75』



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