文学批評の6つの立場――小林真大『「感想文」から「文学批評」へ――高校・大学から始める批評入門』小鳥遊書房

本書は6つの批評的立場を歴史にそって紹介し、そのうえで批評のもつ役割(可能性)を説く。

当たり前だが、歴史的な話なしに批評とは何かを語っても「車輪の再発明」的な展開になってしまう。本書が6つに分けた批評的立場は非常にクリアで、この分類がすべてではないにしろ、本書がターゲットとする高校生や大学生が文学批評を知るには十分なものだ。私自身が大学生の頃にこのような本があればよかったとに、と思う。学生時代に批評それ自体はけっこう読んだが、個別の批評を歴史的文脈に照らしながら体系として構造化していく作業は、かなり大変だった。そういう点でも本書は良質なガイドとなる。各批評的立場の代表的論者と批評からの引用があり、主典も明記されているので、さらに詳しく読みたい人にも向けられている。

本書が切り分ける6つの批評的立場とは以下の通りだ。

①作家論 …作家の実人生や作家の意図が反映したものとして作品を捉える。
②作品論(ニュークリティシズム=新批評) …作品を作者や読者、時代から独立した小宇宙とみなし作品内の言葉の使い方(など)に注目する。
③構造主義 …作品の背後にある科学的・客観的な構造を抽出することを目標にする。
④イデオロギー批評 …作品のみならず、作者や読者も歴史・社会の中に位置づけ、その時代の思想の影響を受けているとして、作品に埋め込まれたイデオロギーを掘り起こす。
⑤読者(反応)論 …作品の意味は作者が決めるのではなく読者が決める。
⑥メディア論 …作品が作られ、流通していく過程にも着目する。

作品は作者がある意図をもって組み立てたものであることは間違いない。(コンピューターによってランダムに生成された訳でもない限り。もっともコンピューターが作った作品に作者の意図を見出せれば、それはある種のチューリングテストをパスしたことになるかもしれない。閑話休題)

じゃあ作品の意味を作者に求めれば良いかというとそういうわけでもない。作者が意図した通りに作品が表現されていないこともあるし、作者の無意識に(イデオロギー的に)表現されてしまったものもある。さらに読者が作者の狙った通りに読まないことも十分にある。言語や時代が異なると、作者が想定した具体的な読者は(ほとんど)いないだろう。

また作品としてパッケージされ市場を流通することも必要だ。作者が作品を書き、自分自身を含め誰にもそれを見せなかった場合、果たしてその作品の意味はあるのだろうか?(作品の意味、というのは作品の意義というわけではない) 誰もいない森で木が倒れたとしてその音が誰の耳にも届かなかったなら、木は倒れたのだろうか?

ひろく言語芸術としての文学は、作品を媒体として作者と読者のコミュニケーションである。そのコミュニケーションの最中に意味が生まれてくる。意味が生まれるのは読者の中であり、作者も作品を生み出した直後から一読者になる。ひろくまとめるとこうなるのだが、肝心なのは作者・作品・読者の割合というか、意味生成における関わり方の比重というか、そういう個別具体性なのではないか。しかしこれはまた別の話。本書は、個々の「批評とは何か」を考えるうえで必要な、いままで蓄積されてきた「批評とはなんだったか」をたいへんわかりやすく整理・提示している。次の一歩のための、足元を確認するのに最適な一冊である。(2021年10月22日)

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