見知らぬ父

中学生になってから、私はどんどん父を嫌いになった。
とくに父が下着姿でウロウロするのが堪らなくイラついて、視野に入るだけで自然と舌打ちしてしまうようになった。
鬼のような顔をした私に対して「こらっ、親に向かってなんですか!」と母が注意するまでが一連の流れであった。

 私が社会人となってからはそんな風景はほとんど無くなって、終電で帰って寝るために帰るだけの日々が続いていた。
たまに夜尿症で目覚めた父と顔を合わせることがあるが、だいたい「ゆかちゃんお疲れ様でございます。戸締りしてね」と言って部屋に戻っていく。
それを見ながら『この歳になっても「ちゃん」付けされているのはどうなのだろうか…』と、疲れた頭に新たな疑問が残るのだった。
 一人暮らしもしたかったが、都心は家賃が高く、税金や交通費などを考えると将来への蓄えをするのが懸命に思えたのだった。
 
そんなある日、父が倒れてその日に亡くなった。心筋梗塞だった。
のちに医師から聞いた話では、もう少し発見が早ければ一命をとりとめたかもしれないとのことだった。
これまで父のことなんて考えたこともなかったが、頭の中で色々な記憶がグルグル回った。
『何でもっと優しくできなかったのだろう… 今思えば父親に頭を叩かれたこともないし、テストで悪い点を取っても厳しく叱責されたこともなかった』
 病院に駆けつけた父の職場の方々が号泣しているのを見て、私の知らない父は立派な人だったんだと確信した。
涙が止まらなくなった。

母親は憔悴しきっていたので、とりあえず葬式の準備は私がやることになった。
親戚の叔母さんに連絡して、あれやこれや段取りを教わった。
この時は悲しみよりも使命感のほうが強かったし、きちんと式を執り行うことが供養になるのだと思った。
ただ、父の骨を見たときばかりはキツかった。
見慣れたあの姿はもうなくて、物質的な別れを感じた。
母は今にも倒れてしまいそうだったので、叔母さんに頼んで先に帰宅させた。
その分、私はしっかりしようと強く思った。

家に帰ると父がいなくなった家は冷たい感じがして、聞こえるのは時計の針の音と、母がシクシクすすり泣く声だけだった。
母には「終わったよ」とだけ声をかけ、叔母さんに感謝を告げた。

 そして、何日か経ったある日、不思議なことが起こった。
その日は今までの疲れがドッと出て、とても寂しくなって、夜になっても眠れずにいた。
気分転換に何かを飲もうと二階から一階に降りた時、家の中を下着姿の男が歩いているのを見たのだ。
私は驚きすぎて身体が動かなくなった。
『ペタ、ペタ、ペタ、ペタ…』
母親の部屋の方から玄関に向かって足音は消えていった。
怖くなった私は急いで自分の部屋に戻って布団に包まった。
そのうち強い眠気がきて、気づいた時には朝になっていた。
目を覚ますなり、急いで階段を駆け下りた。
「どうしたの?そんなドタバタして」
「違うの、昨日の夜ね、家の中を男が歩いてたの」

私は昨夜の出来事を母に話した。
「不思議なこともあるものね。案外、お父さん、自分が死んだこと気づいてないのかもしれないわね。ドンくさいとこあったし」
何をしても憂いの表情が消えなかった母だったが、父の話をしたこの時ばかりは楽しげな表情をしていた。
母は本当に父のことが好きだったのだろうし、父は一家の大黒柱であったんだなぁと改めて感じた。
 その直後、会話の合間をテレビの声が割って入った。
『次のニュースです。昨夜、一人暮らしの女性の部屋に男が押し入り、女性を包丁のようなもので刺して逃走。叫び声を聞いた隣の住人が異変に気付き通報しましたが、女性は重体ということです』
始めに気づいたのは母だった。
『あらやだ、すぐ近くじゃない。物騒ねぇ。生中継なら表に出れば見えるんじゃない?』
私は胸騒ぎがして外に出ようとした。
「あれっ、鍵が開いてる…
おかーさんっ!昨日、ちゃんと鍵閉めたっ⁉︎」
「昨日は最後に帰ってきたの由佳子じゃない。自分で覚えてないの?」
私はガタガタ震えながら、走って現場のアパートの方へ向かった。
現場には規制線が張られていたが、近くに警官がいたので私は昨日あったことを伝えた。
「分かりました。すぐに向かいます。」
そして、鑑識がきて家のドアの指紋を採取したところ…
『間違いありません。指紋が一致しました。お怪我はありませんでしたか?』
「は、はい…」

犯人が現場に残した包丁に付着していた指紋とドアノブにあった指紋が一致したのだ。間違いなく、あの夜犯人は家に来ていた。
家に侵入したのになぜ何もしなかったのかは犯人にしか分からないが、私も母も父が守ってくれたのだろうと思っている。
それ以来、私は戸締りを忘れたことはない。
#ショートショート #小説

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