家族写真

うちの息子は生まれつき体が悪く入退院を繰り返していた。本来であれば居るはずの母親も不甲斐ない父親のせいで家を出て行ってしまった。どうにかこの子がちゃんと大人になれるようにすることが、せめてもの罪滅ぼしだと思いながら仕事場と病院の行ったり来たりを繰り返す毎日だった。
「お父さん、あれってなんていう木?」
「あれはねソメイヨシノっていう桜の木だよ。」
「へぇ。ヨシノさんっていうのかぁ」
「春になったら退院できるって先生言ってたから、そうしたらピクニックに行こう。病院の外には色んな木があって、夏にはカブトムシが来る木、秋には綺麗な葉っぱの木があるんだよ」
「カブトムシの木ってなんて名前?」
「クヌギっていうんだよ」
「クヌギさんかぁ。じゃあ、葉っぱの木は?」
「イチョウっていうの」
「イチョウさんかぁ。お父さんはなんでも知ってるんだね」
「早くみんなに会いに行こうね」
「うん!」
今考えると病室から見える窓の外が、彼にとっての希望だったのかもしれない。
それからすぐのことだった。風邪をひいて微熱が続いていた息子の容体が急変したのだ。いつもはにこやかに接してくれていた主治医が神妙な面持ちで診察室へと私を招き入れた。
「息子の具合はどうなんですか?」
「うんと… 医者としてはっきり言いますと… もってあと2ヶ月です。これからの方針は完治を目指すのではなく延命になります」
「ちょっと待ってくださいよ! 春には退院できるかもって言ってたじゃないですか?」
「風邪で抵抗力が弱って、思った以上に進行が早まったのです。これは医者としても予見できませんでした…」
「そんな…」
私は絶句した。親として常に考えていた最悪の自体が現実になろうとしている。せめてどうにかあの子に世界の広さや美しさを感じてもらいたい。そう思った私は「息子をタイムトラベルに連れて行けないでしょうか?お願いします」と医師に懇願した。
「わかりました。ずっと私も頑張る息子さんの姿を側で診てきましたから、最高の時間を過ごせるように何とか調整してみましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、長時間の移動は身体の負担になりますから一年未満の移動に限ります。いいですね?」
「はい」
そうしてタイムトラベルの当日を迎えた。
「お父さん。これがタイムマシン?」
「そうだよ。これから見たいもの全部見せてあげるからな」
「わーい」
どうにか外出できる状態まで持ち直した息子とタイムマシンに乗ることができた。尽力してくれた主治医には本当に感謝をしている。
「さぁ、着いたぞ。まずはソメイヨシノを見に行こう」
重厚な扉が開くとそこには満開の桜が広がっていた。
「わぁ… すごい」
ため息が出るほどの美しさに息子はうっとりしているようだった。心なしか小さな声で息子が「嘘じゃなかったんだね」と言った気がした。
「じゃあ、写真を撮ろうか。あの一番大きな桜の下で撮ろう」
「でも、人がいるよ?」
「大丈夫。タイムマシンと旅行者は現地の人達には見えないから」
そう言ってとびっきりの写真を撮ることができた。
「さぁ、次に行こう」
「ばいばいヨシノさん」
息子は手を振ってタイムマシンに乗り込んだ。
「よし着いた。少し暑いだろうから上着は脱いでいこう」
「うん」
医者の言う通り、短期間での温度変化は小さな身体にとってどれほど負担がかかるのか想像に難くなかった。
「うわぁ。うるさい。お父さんなにこれ?」
「これはセミっていう虫の鳴き声で、いっぱい鳴いているのを蝉時雨っていうんだよ」
「なぁに?聞こえない?」
声が簡単に掻き消される大音量を全身に浴びながらクヌギの木まで歩いた。
「お父さん、何か動いてる」
息子はひび割れてざらついた表皮の間から樹液が出ているあたりを指差した。
「おっ、あれがカブトムシだよ。だいたい夜に行動してるから見つからないと思ってたんだけどよく見つけたな」
「どうやって触るの?」
「こうやってツノを持つんだよ」
私がツノを掴んで持ち上げるとカブトムシは足をばたつかせた。
「やだやだ。気持ち悪い。お父さん早く行こう」
どうやら息子は虫が苦手だったらしい。
「クヌギさんにバイバイは?」と息子に訊くと「クヌギさんばいばーい!」と大きく手を振った。
最後に秋のイチョウを見に行って「そろそろ帰ろうか」と言おうとした時のことだった。
「ねぇ、お父さん。ボクね… お母さんに会いたい」
その声は少し震えていた。勇気を振り絞って口にした切実な願いに感じられた。
きっと息子は狭い病室の中で、いつか母親が会いにきてくれると信じて窓の外を見ていたのではないか?
私は彼女がどこに居るのかはだいたい知っている。拒む理由もない。
「うん、いいよ。行こう!」

会える確信はなかったが、とりあえず彼女の住むアパートの周辺を私たちは手を繋いで歩いた。しかし、彼女は現れず、日が落ちて寒くなってきた。これ以上は負担になる。
「具合が悪くなるといけないからそろそろ帰ろう。また来ればいいよ」と私は言った。息子はがっくりと肩を落としてコクリと頷いた。
そのままタイムマシンまで向かう途中、息子が小さな神社の方を指差して「あっ!お母さんだ!」と叫んだ。
その姿は紛れもなく彼女だった。私は息子を抱き上げて急いで彼女の元へと走った。
息子は目を輝かせながら「お母さん!会いにきたよ!」と言った。
もちろん、私たちの姿は彼女には見えない。
「ねぇ、お母さん」
彼女は手を合わせ、目を瞑り、何かを言っていた。私は耳をすました。
「あの子のことを忘れたことなんてない。あたしがもっと母親らしいことをすればよかった… もっとたくさん…」
彼女の目から流れる涙を見て私は全てを悟った。
「お母さん…?」
事態が飲み込めない息子に私は「急いで家族写真を撮ろう!」と言って、彼女が振り返って帰るタイミングでシャッターを切った。
「行っちゃったね。でも、ボクお母さんに会えてよかった。お父さん本当にありがとう」
そう言って息子は満面の笑みを浮かべた。
「いいんだよ… ちゃんと伝えるからね。さぁ、そろそろ帰ろう」

それから間も無く息子はこの世を去った。
彼が病室で描いた最後の絵は、桜と楓が入り混じった奇妙な季節の中で三人家族が笑って立っている姿だった。
これから私は家族写真を持って神社に向かい、彼女に彼の言葉を伝えに行く。
「お母さんに会えてよかったよ」と。

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