運命の人

人通りのない橋の上を男女が歩いていた。会話が無くなり沈黙が続くと、おもむろに男は女に顔を近づける。
それまで男の魅力にうっとりしていた女は、顔が近づくほどに冷静になり、唇が触れる寸前で顔を横に背けた。
「どうしたの?」
「やっぱり嫌だわ」
「どうして?」
「だってあなた、私の…」
「私のなに?」
「私の身体が目当てなんでしょう?」
距離感を詰めてくる男が自分の空間を侵略してくるように感じた女は、反射的に護身用のセリフを取り出した。今まで下心をむき出しにして近寄ってきた男どもはこれで引き下がったのだが、この男はそれとは様子が違った。
「うん、間違ってないね。君は魅力的だもの。眠る、食べる、性を満たす。そうやって生物は生きてる。くだらない毎日を都合のいい解釈で生きる。それが人間だろう?」
女は黙って男の言葉を聞いていた。
「君だって都合のいい解釈で、王子様が目の前に現れるとでも思って今まで生きてきたんだろう? 残念だがそんな奴はいないよ。僕は王子様ではないけど、目の前の君をどうにかしようと思ってる。ただそれだけだ」
両親から大切に育てられ、青春をエスカレーター式のお嬢様学校で過ごした彼女にとって、この歳になるまで異性と付き合ったことがないことは唯一のコンプレックスであり致命的にさえ感じていた。
「そうかもしれない… でも…」
その心境の変化を見透かしたように男は再び彼女に顔を近づけた。考える余裕はなかった。
『この人ならーー』
二つの影が重なるのを赤い月が見ている。
「ん…ん…」
「なんだ、上手じゃないか。ならこういうのを知ってるかい?」
そう言うと男は舌を絡めてきた。女は電気が走るのを感じて、一瞬、身体を硬直させたが、内側からこみ上げる欲動を発散するように絡みつく舌に応えた。
『ああ、この人がきっと運命の人なんだわ』
そう思った直後、激痛とともに鼻の中を鉄の匂いが充満した。
「あ〝あ〝っ」
女は声にならない悲鳴を上げ、男を突き飛ばした。
自分の口からぼたぼたと垂れる血を見て舌を噛み千切られたのだと確信した。
目線を男に移すと、まるでチューインガムみたいに自分の舌を男がクチャクチャと噛みながら何かを言っているのを聞いた。
「君はまた都合のいい解釈で、僕が君の性欲を満たしてくれるとでも思ったのかもしれない。でも実際は、僕は王子様でもなければ人間でもない狼男で、僕の食欲を満たすために君は今日まで生きてきたのさ。人の一生なんてそんなもんだよ。じゃあね…」
二つの影は重なり、やがて一つになるのを赤い月だけが見ていた。

✳︎モツ鍋が苦手という人が「いつまで噛んでいればいいのか分からない」と言っていたことから着想を得た話。
最初は「赤い月」と「ドラキュラ」の構図だったんだけど、ドラキュラは人肉食じゃないから狼男にした。
狼男ってなんとなくダサいから2枚目キャラのイケメンが饒舌に騙す感じに。
「狼」と「騙す」という組み合わせだと『赤ずきんちゃん』がテンプレに敷けるから、年齢が高めのお嬢様キャラを主役に設定した。
いつも通り「救いがない話」なんだけど、童話って実は残酷だし、ディズニー補正がかかってるよりはこっちのほうが面白いと思う。
#小説 #ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?