チャイム

「ピンポーン。ーーー」
ああ、まただ。またチャイムが鳴った。
僕は覗き穴を見る勇気がなかったし、居留守がバレるのもなんだか怖くて、チャイムが鳴るたびに息を止めていた。
「小谷ぃ。みんな心配してるぞ! 早く学校来いよな! 待ってるからな!」
ケンちゃんはほぼ毎日、僕の家のチャイムを鳴らして帰っていく。心なしか足音が増えているような気もする。もしかしたら、他に誰かいるのかもしれない。
僕は学校へ行けなくなっていた。一体、何がこの状況を作り出しているのか自分でも分からないし、この現状が良いことだとは思っていなかった。
ドアを開ける事さえできなくなる前に、僕は勇気を出して精神科に行く事にした。

「高校2年生という事で、受験がストレスになっているのかもしれませんね」
医師はそう説明した。
「学校に行きたいのに行けない状態を『登校拒否』と呼ぶのも良くありませんよね。うちのクリニックを受診される患者さんの中にも、ちょうど小谷さんと同じ年代で、そういう悩みを持っている方がいます。その方の場合は親御さんが『〇〇でなければならない』という価値観を押し付けている事が原因でした。自分の考え方を持とうとする時期に干渉されているわけですから、ストレスがかかるのは当然です。小谷さんはご家族との関係はどうですか?」
「ウチはシングルマザーですが、母との関係は問題ありません…」
悪い人ではなさそうだけど、僕の悩みの主旨が伝わっていないようだった。本当に解決できるのか分からないけど、僕はそのまま言葉を続けた。
「そうではなくて、小学校のクラスメイト達が毎日のように家に来るんです…」
「学校が別々になっても友達でいられるのは良い事だと思いますが…それはつまりイジメですか?」
「いえ、違うんです。一番最初は高校の入学式が終わった後、夕方の6時ぐらいでした。玄関のチャイムが鳴って、その声を聞いて、すぐに小学校の時の健太君の声だとハッキリ分かりました。僕はすぐにドアを開けましたが、彼の姿はありませんでした」
「ピンポンダッシュですか?」
「いえ、違うんです。チャイムは月に一回の頻度で鳴っていたんですが、それが一週間になってーー」
「毎日のように鳴っていると?」
「そうです」
「その健太さんは何をしに小谷さんのお家を訪れるのですか? お金やゲームの貸借りとか?」
「違うんです…」
「あ、無理しなくて結構ですよ。ゆっくりで構いません。これよかったら使って下さい」
「すいません…」
知らない間に僕は涙を流していた。差し出されたティッシュをそのままに、腕で涙を拭った。呼吸が乱れて声が上擦っているのが自分でも分かる。それでもどうにか想いを言葉にした。
「小学校のスキー合宿の帰り道の事です。乗っていたバスと対向車線をはみ出したトラックが正面衝突する事故に遭って、運転手さんと担任の先生とクラスメイトは全員死にました。数年前の事ですが、テレビでも報じられていたので、もしかしたら先生もご存知かもしれません…」
医師はハッとした表情をして僕を見ていた。
「生存者は僕だけなんです。でも、来るんです。僕の家に来るんです。ドアを開けてもいなくて、「学校に来いよ!」って言うんです。みんな死んじゃったのに僕だけ生き残って…高校生になったんですよ。みんなも高校生になりたかったんですよ。僕はみんなに何をしてあげたら良いんでしょうか? 教えて下さい」
「小谷さん。足立凛花って知ってますか?」
その懐かしい名前を耳にして顔が頭に浮かんだ。僕は覚えている。
「足立さんですか? 知ってます」
今度は医師の目に涙が滲んでいた。
「どこかで聞いた名前だと思ったら、君が小谷くんだったのね。大きくなったね。そのバスに私の娘も乗っていたのよ。ごめんなさい…。もし生きていたら、あなたと同じ高校2年生だったんだと思うと涙が出ちゃって」
「これ使って下さい」
僕は先ほどのティッシュを渡した。
「ありがとう。辛かったでしょう?
『Survivor's guilt』日本語で『生き残り症候群』って言ってね、兵隊さんとか自然災害で生還した人が掛かる精神障害があるのよ。でも、本当にチャイムが鳴っているとしたら違うかもしれないわね。私は医者だからこういう事、言ってはいけないんだけど幽霊かもしれないね。多分、健太さんは君の事が好きだったんだよ」
その言葉を聞いて心の氷が少し溶けた気がした。
「もし良かったら、娘のお墓にお線香をあげてくれない?」
「もちろんです」
まさか、たまたま行った精神科の先生が元クラスメイトのお母さんだなんて。
僕が使命感に突き動かされたのはその時だった。

サッカーが上手かったアイツ。
ミシンで上手に縫い物ができたあの子。
お笑い芸人にすぐ影響されるアイツ。
ニワトリ小屋に入っても全く突つかれなかったあの子。
足の速さなら誰にも負けなかったアイツ。
どの授業でも手を挙げていたあの子。
新作ゲームを自慢したばかりに自宅がみんなの溜まり場と化したアイツ。
誰よりも早く学校に来て花瓶の水を替えていたあの子。
何をやってもだいたい3位だったアイツ。
口数は少ないけど上手な絵を描いて大人を唸らせたあの子。
机の中がカビの生えたパン工場になってたアイツ。
ダンスが得意だったあの子。
ボールペン回しが得意だったアイツ。
家で飼っているペルシャ猫の抜け毛がいつも服に付いていたあの子。
黒板を消すのが異様に上手かったアイツ。
将来はネイルアーティストになりたいと言っていたあの子。
親が魚屋さんで包丁さばきが上手かったアイツ。
年の離れた弟が迷子にならないようにいつも二人一緒に帰っていたあの子。
「数学と理科以外は捨てる」と言っていたアイツ。
学校のマラソンで優勝したあの子。
いつも図鑑を見ていたアイツ。
海外旅行に行った話をずっとしていたあの子。
泥団子を宝石のようにピカピカにしていたアイツ。
アイドルにハマっていたあの子。
電車が好きすぎてお年玉で電車の部品を買ったアイツ。
友達に影響されてアイドル沼にハマってしまったあの子。
不良と言われていたけど寂しそうだったアイツ。
誰とでも仲良くできたあの子。
親友の健太。僕が学校を休むと、家まで連絡ノートを届けてくれた良い奴。恩返しできなくてゴメンな。
僕の後ろの席のあの子。プリントを回す時にドキドキしたのは、その子の事が好きだったから。もう伝えられない。それに気付いてお墓の前で切なくなった。
飯島先生。たまに丸が歪んでいたのは、夜中までテストの採点をしてウトウトしていたから。いつもニコニコしていた僕らの先生。
「おー、今日のお客さん達は元気がいいね」と言っていた運転手さん。

チャイムが鳴る原因が僕の精神障害にあったのか、それとも幽霊の仕業なのかは分からない。
僕はクラスメイト29人と先生、それに運転手さんのお墓も回った。生前の記憶と感謝の言葉を添えて。
失われた命は戻らないけど、僕は新しい自分に逢えた気がする。うまく言葉にできないけど、今も悲しみの中にいるご遺族も何かのきっかけで変わる事ができると思う。悲しみの中にいた僕を親友が連れ出してくれたように。
不思議なことにそれ以降、チャイムが鳴る事はなくなった。それでもいつでも遊びに来ていいように、お菓子を用意している自分がいたりして。

#小説 #ショートショート

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