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キリスト教考察:聖書


くりえみ「この格好変じゃない?」俺氏「どうしてこんなところ来たの?」くりえみ「俺氏くんをナンパするため!」

まずこの文を書くにあたって、聖書とは単なる読み物ではないと注釈しておこう。

読んで終わりではなく、その後もさまざまな読み返しがある。

不思議なことに毎回読み直しても、何回も新しい発見がある。

もう4回は聖書を読破したはずなのに、まだまだ知らないことが沢山出てくる。

ここで自分が聖書について語ることは世に憚る事かもしれないけど、これも一人の人間の解釈だと思ってもらって欲しい。

だって、読む人全てに何らかの訓戒を述べるのだから、俺が何に注目したかを記するのは変な事ではないからだ。

決して冷静な聖書研究や人類の叡智を集めた。

などとは言わない。

俺ごとき単なる気まぐれで書いた作文が世に影響を与えるなどとはないからだ。

それを念頭に読み進んで欲しい。

まず、この聖書というのはどういった書物なのだろうか?

よく世界で一番売れてる本、だとか。

人類に神が与えた書物、だとか。

この世の全ての救いが書いてある、とか。

色々な言葉を持って書かれている。

しかしだ、聖書とは新約聖書を除く誰かが書いた叙事にほかならない。

私にはわからないが、キリスト教の偉い人が集まって、どれを聖書にするべきか?考えて編纂したのが聖書だと言うのだ。

つまり全世界の伝記を聖書に集めただけに過ぎない。

その中で聖書はもともと章立てられていない。

全て一枚の連続した話なので、元々の文書は区切られていない。

でもそれだと誰にもわかりやすいものではなくなるため、色々と後世の人が章立てている。

新約聖書のほとんどを書いた人が、クリスチャン・パウロだ。

彼は初代教会を迫害していたが、神の啓示によりクリスチャンとなった。

それから何ページにも渡るキリスト教伝道者に当てた書簡を新約聖書としている。

私の解釈だが、新薬聖書とはまだキリスト教が世に広まって無いときに伝道者に当てた激励の言葉だ!

と私は見ている。

ステパノが迫害にあって死んだのもパウロの大病(一節には精神病)も、結構苦労が垣間見えるが、パウロのこの言葉だけは目に焼き付いてる。

「全ての状況がひっくり返ったら、それは凄いことではないか?」

しかし、それができるのは神様を信じてるキリスト教だけだと私は思っている。

日本ではイマイチ中身が知られてない聖書だが、単なる戒めやお花畑な事が書いてあるだけじゃない。

できれば是非とも手にとって愛の宗教を信じてくれ・・・。

などと言う気はない。

是非、キリスト教の駄目な所を見つけて聖職者に質問して欲しい。

聖書を読んで駄目だったらキリスト教は一神教で選民思想だ。

とか言って欲しい。

でもここで聖書言葉を借りるなら、イエスの十二弟子はこうも言った。

「天国に行ったら、誰が一番偉いのだろう」

そこにはイエスの指摘がある。

言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。(マタイ18:3-4)

という箇所がある。

つまり偉い卑下てるというのは天の国にはない。

イエスの下で全ての人が子供である。

子供が言い付けを守らず、悪さをしたら大人に罰せられるように、伝道者の書には最後にこうも書かれている。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者12:13)

結構キツイ言葉で神を恐れてすすめと書いてある。

そんなの、嘘じゃないの~?と思う人に最後にこの言葉をあげよう。

主のことばは混じり気のないことば。土の炉で七度試され純化された銀。(詩篇12:6)

ハレルヤ

P.S. 聖書の中に黙示録が入ったのもごく最近です。それまでは入ってなかった

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