被災地メモ

2020/07/04の九州南部の大雨で高齢の祖父母の家が被災したため現地へきている。
日々の状況をとりあえず日記に残しておこうと思う。

07/04(土)

午前8時ごろ、祖父母から電話。午前4時ごろ床上浸水し自宅からいまだに水が引かないとのこと。一階が完全に浸かったため屋根裏へ避難したらしい。
カメラ付きの携帯電話も持っておらず、罹災証明のときにも困るので、ということで、週明け帰れそうなら帰ることに。
自分の住んでいるところも連日大雨ではあったが、とらあえずバイト先に事情を説明しにいった。

07/05(日)
一晩あけたものの、祖父母は寝る場所もなかったもよう。
水は引いたが畳、什器などが水を吸って泥に塗れてすでに悪臭が漂っていたらしい。
海沿いに家があるので満潮のタイミングで潮水も被っている。
主要道路が全て土砂崩れの被害を受け孤立しているらしいが、とりあえず電気は集落のほぼ全ての家庭で復旧したらしい。
(昨日の電話のタイミングでは生きてて、その後断線した模様)
断水は続いている。コロナ禍で飲料水含め備蓄が少しあったのが助かった。


07/06(月)
九州北部でも大変強い雨が振り続け、自身も一日中びしょ濡れになって過ごした。(筑後平野などは大変だった模様)


07/07(火)
交通機関の状況は、博多-熊本間で新幹線が、それよりも南は高速道路が通れるようだったので、そのルートで向かうことに。
途中新幹線の中から見えた筑後平野はひどい有様だった。
熊本市内の高校から帰宅していく生徒も見られた。
途中ホームセンターによって必要そうな長靴、作業用の道具等を見繕ったが予想どおり売り切れ...

朝一に家を出て、祖父母宅についたのは18時を回った頃だった。
過去自分が身を寄せてた部屋はトイレの隣だったので汚水に塗れていた。うんち。
畳は全てびちゃびちゃで床板も浮き上がっている箇所すらあった。
どの部屋も悪臭がしていて想像を超えた酷さだった。

とりあえず寝る場所もなかったのでビニール袋などを重ねて寝床を作って仮眠。

07/08(水)
とりあえず何からするか、ということになったが、役場に物資をもらいにいったり、外に捨てれそうなものを捨てたりした。
ようやく庭の水が引いて土砂の流入量に辟易するなどした。

07/09(木)
消防団の若い衆が手伝いに来てくれたので全ての畳を廃棄した。ありがたかった。


07/10(金)
乗用車が土砂で動かなくなったので、購入元が提携しているレンタカー屋さんで補填の範囲内の代車をレンタルできることに。

07/11(土)
朝5時ごろ再び浸水。床板の隙間からゴポゴポ水が上がってきた。
近くの研修施設が体育館を解放してくれて祖父母はそちらで寝泊まりしてもらった。


町内会の面々が一生懸命決壊した川の水が再び川に戻るように土嚢で頑張って誘導路を作っていたが、そんなんでなんとかなるわけねーだろ!!
結局ウチが役場に電話したわ!
しかも水で土砂を流そうとしたのか消火栓を最大まで開けて水柱つくるし...
なんで仕切り屋になりたがるの?

町内会長が避難誘導していたが、役場に遠慮して昼まで電話しなかったため被害が拡大した模様。(役場の元職員のため。)
ありえん。だいたい何話してるかわかんねーんだよボケが。
いい大人が「どうしようもなかですもんねー、どうしようもなかですもんねー」じゃねえんだよ。
「二度あることは三度あってはいかんけん」も意味がわからん。上流の土砂撤去を最初の冠水後雨が数日止んだタイミングでやっとけばよかったのにおまえ公民館で待機しとっただけやないか...

災害の裏にはこういう避けがたいプチ人災が存在しているのね、というお気持ちに。田舎(要出典)の一番のヤバさは「人の少なさ」である。

07/12(日)
雨は時折ひどく降っているが時間を見つけて役場に物資をもらいに行く。
洗濯機が機能していないので10kmくらい車を走らせてコインランドリーへ。
夜中に行くと値段が半額になるらしい。
ホームセンターも浸水したらしいので仮営業されていたので泥を掻き出す道具をget。
これ若い人がいない+車がない家庭にはちゃんと保護が行き渡っているのかと不安になる。

07/13(月)
雲は残るが晴れ。
一転して水よりも熱中症の危険がある気候に。
何がしんどいかというと、乾いた土砂が砂ぼこりとして舞い上がる。
家に入った土砂をドンドン掻き出すが、どう考えても個人では無理だし、土台に水が染み込んでる箇所を見つけるなどした。

07/14(火)
今日も雨の予報を覆して晴れ。
だいたい泥水で汚れた部分はその10倍の体積の水がないと十分に洗い流せないのかな〜という印象。
スズメバチが元気に巣を作っていたので破壊して回る。
先日スズメバチに関する論文を読んだのが遠い過去のようだ。
10箇所近くあるゴミの受け入れ場所は一箇所しか機能していなかったので軽トラで運ぶ。
荷紐を結ぶのが上手くなってきた。

ようやく石灰とコンパネ材をもらって来れた。

7/15(水)
ボランティアの方々が来てくれた。
熊本市内の農協が声をかけてくれて若い人手を集めてくれたらしい。
ありがたいことに浸水した什器の半分くらいを分解してゴミ捨て場に運んでくれた。
ゴミ捨て場でもボランティアの人たちを多く見かけた。
大渋滞だった。

深夜になってようやくコインランドリーへ溜まった洗濯物を持って行けた。
疲れた。

7/16(木)
多少雨もぱらつくことがあったが概ね晴れて乾燥していた。
ゴミ捨て場が10kmくらい離れたところだったのでしんどかった。
どうやら同じ業者の人が複数のゴミ捨て場の管理をしてくれてるらしい。

浸水した漬物を400kgくらい運んだ。あまりの悪臭に泣いた。
大型の油圧ショベルが漬物樽を空に持ち上げてる様は圧巻だった。
技能実習生のベトナム人も誘導と運搬で大活躍だった。

毎度朝7時には避難所の祖父母が電話をかけて来て迎えを頼んで来て、深夜は一時くらいまで作業してるのでぼちぼち作業の効率が壊滅的になって来た。

夕方、日が沈むのを写真に納めに行く途中で町内会長にあったものの相変わらず言葉が軽いなーと思った。

クモ、ゴキブリ、フナムシが元気よくおうちの中を闊歩してるので徹底抗戦の構えをとった。


[募金先(yahoo!)]
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