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淀殿じゃないよ、茶々だよ。

何かをしようとした時に、茶々を入れられるとそれまでの気持ちが冷めてしまう瞬間ってあります。

「茶々」ってなんだろー?と思って語源を調べてみたら、茶々の茶は「お茶」のことでした。
仕事や勉強の途中で一息つくときに「お茶にする」って言いますね。
お茶は連続している物事の途中に何かを差し挟む、という意味があるんだとか。

「茶々を入れる」はそこから生まれた言葉で
一生懸命に何かをしているところに横から口を挟んで、冷やかしたり邪魔をしたりする様を表すんだとか。なるほど。

ここ最近、
人の気持ちを考えて行動する、相手のことを思って話をする大切さに触れる出来事がありまして。
改めて人付き合いとか会話のキャッチボールの重要さを感じています。

今回はどちらかというと茶々入れられた側なんですが…。
素直に喜んだり、驚いたりしている感情を真正面からぶった切られてシュン…としています。
相手にとっては何気ない発言だったかもしれませんが…。

帰宅してからも何だか考え込んでしまって。
それと同時に
私自身は相手を思いながら接しているだろうか、茶々を入れて相手の気持ちをへし折っていないだろうか…と。

基本、言い争いや怒号が鳴り響く環境が非常に苦手です。
でも、ぶつかることを恐れて
気を遣い、自分の言いたいことを飲み込むような生き方はしたくないです。
だけど、何がなんでも自分の意見が正しいと押し通す生き方はもっと嫌です。

相手が何を考えているのか、話の芯は何なのか。
もし、私が相手の意図を上手く汲み取れなかったら、相互理解できるまで話したい。

物事の本質を追い求めたり、話し込んだあとに見えてくる世界が好きだったりします。
私はそんな人です。
でもグイグイいけない極度の人見知りです。笑
面倒ですねぇ。笑

ある経営者の方が言っていました。
「人は優しい人と話すと優しくなるし、意地悪と話すと意地悪になる。」と。
人付き合いは難しく感じられますが、一方で至極単純なメカニズムだとも思います。

天気が不安定なのも重なり、なんだかおセンチです。笑
センチメンタルジャーニー。

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