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人生とは。

ここ数日、noteの更新ができませんでした。

このブログにもたびたび登場していた最愛の祖父が亡くなりました。
91歳。

病院嫌いの祖父でした。
検査も診察も注射も嫌いで。
それでも数カ月に1度は連れ出してなんとか通院してきました。

先日、祖父が体の異変を訴え、母が病院に連れて行きました。
そこで治療困難な病が見つかりました。

医者が一生懸命、他の病院に連絡し
手術はできるのか、何か方法はないのか、と探してくれたのですが、どこも良い返事はもらえず。

祖父の場合
高齢であること、基礎疾患があること、手術後もとの生活に戻れるか分からないとのこと。
なにより祖父本人が手術を拒否していました。

医者は母に「会わせたい人がいるなら、今すぐに」と言ったそうです。
すぐにでも飛んでいきたかったけど
家族がコロナ陽性になり、私は濃厚接触者に。
自宅待機中で動けず。会いたいけどぐっと我慢しました。つらかった。

病床の祖父とテレビ電話。

自分も大変な状況だっていうのに「○○は?大丈夫なんか?」とひ孫の名前を呼び
私の娘たちが画面に顔を出すと、満面の笑みで名前を呼び続けていました。

「自宅待機が終わったら行くから」私は泣かずにそれを言うのが精一杯でした。
「それまで持つか、分かんね」祖父はいつもみたいな笑顔とお茶目な雰囲気でそう答えました。

次の日もテレビ電話をつなぎました。
「大丈夫?ずっと寝てるん?テレビは見ないんけ?」
「今日から見始まったんだ」
それが祖父との最期の会話でした。

この日の夜、病院から連絡を受け急いで駆け付けた母を待つことなく祖父は旅立っていきました。
苦しまずにすーっと。眠るように。
入院してから4日目。
私の自宅待機が明ける2日前の出来事でした。

なにがなんだか分からなくて。頭も心も身体もその事実を受け止めきれなくて。
最期に直接、会うことは叶わなかったけどテレビ電話での満面の笑みが記憶に焼き付いています。

自宅待機期間が明けたと同時に実家へ。
「じいちゃん、行けなくてごめんね。」と顔を見ると
すごく穏やかな顔で眠ってて。しかも満面の笑み。

悲しみがぐわーっと込み上げてきたけど
その顔は「俺は生ききったぞ!」と言っているようにも思えて。
あぁ、やり遂げたんだな…91歳まで頑張ってくれてありがとう、と。

結婚するまで同居していたので、良いことから悪いことまで。祖父との思い出は数知れず。
さらに初孫だった私は祖父からものすごく可愛がられました。

その孫から産まれてきたひ孫はさらに可愛かったようで
人生の後半はいつでもどこでもひ孫のことで頭がいっぱいの祖父でした。

じいちゃん、頑張ったね。ありがとう。
大好きだよ。

今度は空からみんなを見守っていてね。


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