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ユキチを忘れない×2

昨日から、いよいよ新紙幣が発行され、これから徐々にわたし達の手元に行き渡ってくることと思われる。
中には、早くも手にしたかたもおられるだろうか?

新紙幣の方が紙質も向上して高精細とのことだ。しかし20年間お世話になったユキチへの愛着は、まだまだ代えがたいというものではなかろうか。(笑)

今日は、そんなユキチの思い出を2つ読んでいただきたい。
たまたま、群馬県の山深い場所でとび交った2枚のユキチの行方をご披露して、去り行く旧紙幣の名残りを惜しみたいと思う次第だ。
記事は6800文字でやや長文。
お忙しいかたは、よろしければその2、嬬恋村つまこいむらの雪道のユキチのエピソードだけでもご覧になっていただきたい!



その1、谷川岳ロープウェイ乗り場のユキチ


母がまだ老いていなかった頃だから、だいぶ以前のことになる。
わたしは、息子2人と母を車に乗せて、群馬県の谷川岳を訪れた。ロープウェイに乗って、山上のお花畑を散歩でもしよう計画したのだ。
ところが、上にあがってみると一面の銀世界。そこはまだ、スキーやスノボの人達のシーズンだった。
ちょっと面白がって雪遊びなどしたものの、薄着で来たからすぐに寒くなってしまい撤収。下界におりて来てソフトクリームなんかを買って、一休みしようとした時のことだった。

ベンチに座ろうとしたのだが、そのひとつにはバッグが置かれていて、どうやら席をキープしてあるようだから、その隣のベンチに皆で腰をおろした。
4人並んでソフトクリームを食べ始めたが、しばらくしても隣のベンチには誰も戻って来なかった。

少し様子がおかしいと思って、バッグをしげしげと見てしまった。
どう見ても、いかにも高価そうなブランドバッグで、こんな物を場所取りに使うのはおかしいと思わざるを得ない。
ひょっとして忘れ物なのでは? という見解で皆の意見が一致した。
さてどうしよう。
見るからに超高価そうなバッグなので、悪い奴が目をつけて持ち去ってしまうかも知れない。大変な事件になるぞ。かといって、わたし達が抱え込むわけにもいかない。
持ち主のほうはきっとすぐに気がついて戻って来るに違いない、とみた。

さりとて、いつまでも見張ってはいられないので、ロープウェイ乗り場の売店に目をつけて望みをかけた。おそるおそる、高価そうなバッグを手に取って、売店の従業員さんに届け出たのだ。
置き去られていた場所(=ベンチ)を伝えて、持ち主らしき人が現れたら渡してもらうよう、また持ち主が現れなかった折には警察なりへ届けてもらうようお願いした。従業員さんは快く引き受けてくれた。

これで安心してソフトクリームを最後まで食べられる。
わたし達はベンチに座り直して、ゆっくり休憩していた。

まさにその時、下の道の方から車が1台登って来るのが見えた。
当時、セレブのあいだで流行っていたメルセデスのステーションワゴンだ。色はホワイト。
その車は、駐車場の上の方まで一気にあがって来て、ロープウェイ乗り場のすぐ近くにつけて停車した。その助手席からは、女性が走り出してきて、あたりをウロウロ見回しながら泳ぐようにさまよっている。
この人だ!
わたし達はすぐに察して声を掛けた。
「バッグをお捜しですか?」
いかにもお金持ちそうな身なりのその女性は、そうだと即答した。
「さっき、置き忘れてあったものを、あそこの売店の従業員さんに預けてありますよ」
その女性は、売店へ飛んで行った。
そして、すぐに取り戻したバッグの、中身にも異常は無かったらしく、とても嬉しそうに戻って来られた。
お礼を言われたが、お互い様なのでそんなことは何でもありませんとか話していたら、その女性はうちの長男の手に小さなものを握らせて、お辞儀をしたかと思うと走って車の方へ帰って行かれた。
メルセデスはあっと言う間に走り去り、あとにはわたし達4人が残った。

「おかあさん、ユキチ‥‥」

息子の掌には、小さくたたんだ1万円札があるではないか。
いやはや、これは大金だ、どうしよう。
「いいじゃない、お金持ちみたいだったし。みんなで美味しいものでもご馳走になっちゃおう🎵」
言ったのは母だった。
もちろん、反論する理由はだれにも無かった。

何をご馳走になったかは忘れてしまったが、谷川岳ロープウェイ乗り場のユキチのことは、新紙幣渋沢栄一に変わっても、なかなか忘れられるものではない。


その2、嬬恋村つまこいむらの雪道のユキチ


その翌年のことだったと思う。
群馬県の名山浅間山を眺めながら紅葉狩りもみじがりをやろうというテーマで、夫がクルマを出してわたし達親子と、またしても母を乗せて嬬恋村へ向かった。

目当ての紅葉はどうだったかよく覚えていない。紅葉どころではない。
その日、宿に着いて日が暮れる頃から、想定外の雪が降り始め、翌朝目覚めた頃には20センチ近い積雪に見舞われていたからだ。
いや、正直この時はね、珍しい季節外れの積雪に大喜びで、大人も子どももはしゃいでいた。(温暖な神奈川在住なもので)

クルマの様子を見に行ったところ、15センチ位の細いツララがバンパーにびっしりと発生していて、それがまるでヒゲが生えているようでまったく大笑いだった。
露天風呂なども見事な雪風呂になっていて、人生初の雪見風呂をたんのうした。これはまさに、望外の喜びというものだった。

嬬恋村のこの宿は、ふもとの町から峠へ向かう道の中腹にあって、われわれがあの日、家に帰るにあたっては、その峠を越えて向こうへ降りていかねばならなかった。
宿の窓から見下ろすと、その道をゆるゆると走っている車が見えた。この積雪だったが、峠の方面へと登って行く車もあって、音から察するにチェーンを装着している様子も無かった。どうやら表通りは走れる状態になっているようだ。(どうだか?)
宿の人に確認したら、「いったん麓におりて街を抜け、山を迂回して帰った方がいい」と言われた。
地図で確認すると、とんでもなく遠回りで、そこまで回り込むメリットが感じられない。(ホントにそうか?)

結局、宿の人のアドバイスを脇に置いて、わたし達は山越えのルートを行くことにした。
なんのことはない、チェーン装着していない車が目の前を登って行くのだから、自分たちも行けるだろうと軽く踏んだのだ。

タイヤはもちろんノーマル。まだ11月になったばかりだったし。
チェーンなど、はなから持ってはいなかった。(偉そうに言うなって)

チェックアウトぎりぎりまで宿で時間をつぶして(=雪見風呂♡)、なるべく道路が溶けてから、ゆるゆると車を出した。
運転は夫だった。ハザードランプを点灯させながら、雪道に出来たわだちを踏んでゆっくり進んで行った。一発でもタイヤを滑らせたら、もうそこでアウトだと思って、慎重にアクセルを踏む。
うしろから来た車はみな快調で、徐行しながらも追い越して、坂をあがって行くではないか。なんであんなに、うまく走れるんだ?
まあ、こっちは慣れていないので、亀のようにそうっと進んで行く。しかしながら、坂の傾斜もだんだん急になってきて、タイヤがすべり始めた。
そして、ある時点でタイヤがするするするするっと空回りしたかと思ったら、ああ無情、そこから全く動けなくなってしまったのだ。

何とかしようとあがいたのが裏目に出た。
アクセルをふかしてタイヤが空回りするのにつれて、クルマはお尻を振ってナナメ向きになってしまい、そのままずるずると坂下へ向かってすべり始めてしまった。
これはヤバい、制御不能の緊急事態だ!(汗)
車内は騒然で、息子も母もひゃあひゃあ騒ぎ出した。
しかしブレーキなど踏んでも、クルマはずるずる下がって止まらないのだ。
おまけに、クルマがナナメ向きになってるせいで、道路上から逸れて路肩の方へと、どんどん滑って行く。
助手席に乗っていたわたしは窓を開けてその路肩を確認して、息を飲んだ。
そこは、ガードレールが途切れている区間で、路肩の1歩先は控えめに見ても20メートルほどの断崖になっていた。(やめてよ~)

後輪1本脱輪すれば、止まるか?!


覚悟を決めた。
夫はハンドルを握りしめ、ブレーキをベタ踏みしている以外、何も出来なかった‥‥。

じわじわと滑っていたクルマの動きがピタリと止まり、大きな衝撃ははしらなかった。
息子と母には車内にいるように言って、夫には運転席に残ってもらい、わたしが車外にでて状況を見届けた。
なんと、左の後輪はあと10センチ程で脱輪する寸前だった。
4本のタイヤには、路面の雪がけずれて固まった三角形の天然の車止めがくっついていた。これのおかげで、クルマは止まったのか。
とにかく、早く石でもタイヤにかまして、動きを完全に止めなければ。
いつまた滑りだすかわからない。
ところが周囲を見回しても、雪ばっかりで石が無い!
しかたがないので、地面の雪をかき集めて団子にして、タイヤにかました。

さて、これでひと安心だが、これからどうしたらいいんだろう。
JAFに連絡したところ、急な積雪のせいで似たようなアクシデントが多数あって、こちらに救援に来れるのは夕方以降になると言われた。
もう、それを待つしか無いのか。
気軽な紅葉狩りもみじがりの格好だから、防寒の装備も無く、ここは雪の山道でコンビニもトイレも無い。ガソリンだけはたくさん入っていたが。

崖下に転落する1歩手前の状態にあるクルマに乗り込むのも怖くて、わたし達は寒さをガマンして道端に立っていた。
その横を何台もの車が通過して行き、停まって声を掛けて下さるかたもあった。
「JAF呼んでますから~!」と返事をすると、励ましの言葉を置いて、去って行く。 待ち初めて30分くらい経った頃だったろうか。
大型のパジェロが停まって、中から若い人が数人出てきた。

「スタックしたんですか?」
見ての通りです、動けないし、落ちそうで、中に乗れないで、立ってるんです、寒いです‥‥
「JAFは夕方以降までこれないんですって」つい泣き言を言った。

すると、その若者たち(男女6人くらいのグループだったか)は、なにやら相談して、パジェロの方からロープを持って来た。
そして、息子と母を、暖房が効いたパジェロに連れて行ってくれた。
彼らは、スタックしたクルマをパジェロで引いて、救出してくれようというのだった。手際よく2台の車をロープで繋ぎ、運転席に夫が戻り、合図と共にパジェロが動くと、いとも簡単にクルマは道路に戻った。
ああ、なんとありがたい事だろう、地獄に仏だ!
しかし喜んだのは一瞬だった。

「タイヤチェーンは、持ってますか?」


持っていませんと答えたところ、この山道はチェーン無しでは絶対ムリだと言われた。しかし、チェーンを装着していない車たちがどんどん登って行くのを見たのだがと伝えた。
「このあたりの車は11月になったら、みんなスノータイヤをはいてるんですよ」
ああ、どうりで‥‥。みなさんノーマルタイヤじゃぁなかったんだ。
嬬恋村って、そんなところだったのね‥‥

わたし達が自分の判断ミスに気付いた頃。
パジェロのご一行は、親切にもうちのクルマの救出計画を立ててくださっていた。
最初は、このままロープで峠までけん引して行って、あとの下りは自力走行で行けるだろうかと踏んだが、やはり下りも制御不能になったら危険だからダメ。
結局、タイヤチェーンを手に入れるしか無いという結論だった。
そうなると若者は行動が早い。
携帯電話で、麓のガソリンスタンドに電話をかけまくり、うちの車種に適合したタイヤチェーンを置いているお店を探し出してくれた。(オートバックスやイエローハットには電話していなかったが、おそらくこんな山奥に店舗自体が無かろうことを察してたのだろう)

タイヤチェーンが見つかるや、わたしをパジェロに乗せて今すぐ買いに行こうと出発。他の家族はクルマの中で暖房にあたりながら待つことにした。
雪道を軽快に走るパジェロを頼もしく思いながら、ガススタまで30分くらい走ったのだろうか。思ったより遠かったので今更ながら恐縮した。
店員さんは、もうチェーンを用意して待っていてくれて、値段は6000円と格安だった。弱みにつけ込んでぼったくられるかと思っていたわたしは、自分を恥じた。

そんなこんなで山中のクルマまで引き返して、さあチェーンを装着しよう!
となって、はたと、手が止まった。
実は、夫もわたしも、チェーンの着脱をやったことが無い!
ごっつい金属鎖のチェーン(昔はこうだったのヨ)は、ビニール袋にじゃらりと入っているだけで、説明書も何も無かった。
鎖を広げてみたが、裏も表もわからない。 (‥‥)

その様子を見守っていた若者が2人進み出て来て、つけてくれる言う。

「お、おねがいします!」


さすがにヒトの車なので勝手が違うから、彼らも扱い難そうに作業していた。その横で、夫が少しでも手伝おうと控えていた。
寒い雪の山道だ。見ているだけでこっちも寒くて堪らない。
幼かった息子はパジェロにお呼ばれしてから、ずっと乗ったままだ。お姉さん達にあれこれお話してもらったりちやほや遊んでもらったりで、至福の時を過ごしていた。(子どもはいいなあ)

難局を打破する出口は見えてきた。
母とわたしはその空気の中で、さていったい、あの若者たちにどうやってお礼をしたらいいのかを考え始めていた。
テイッシュに包んだお金を受け取ってもらうくらいの発想しか浮かばなかったのは、寒さのせいだけではない。
本当になにも無い山道で、立往生しているのだったから。
(立往生の意味を切実に感じたよ)

タイヤチエーンは程なくちゃんと装着された。
試しにそろそろと車を動かして見たら、いい具合に出来上がっていた。

「本当にありがとうございました! 命拾いしました! 」

お姉さんたちにすっかり懐いてしまった息子は、離れがたい様子だったが、別れの時は一瞬だった。
6人の若者は、みなパジェロに乗り込みシートベルトを着用する。そのタイミングで運転席の窓をこつこつこつとノックした。
運転席に座っているのは、救出作戦を仕切ってくれていた若者だ。
とりいそぎお礼に用意したのは、ティッシュに包んだユキチ。それを渡して深く頭を下げた。
「受け取れませんよ、困った時はお互い様じゃないですか!笑笑笑笑はははは
ひとしきり押し問答ならぬ押しユキチをやった末、結局こちらの手にユキチは強引に戻されてしまった。
パジェロの窓から、「それじゃあこの先もお気をつけて」と挨拶して下さり、他の窓も開いてお姉さん達も手を振ってくれた。
パジェロは雪道を注意深くゆっくりと走り出してしまった。
わたしはその後ろ姿をただただ感謝とともに見送っているしかなかった。

その時だった。
横にいた母がティッシュのユキチを手に握りしめて「あたしが行くわ!」と走り出したではないか。パジェロを追いかけて行く。
そして、やっと追いつきざまに、開いてた後部窓のすき間に、丸めたユキチを放り込んだのだ。見事にはいった!!
そして母は、きびすを返して急いで走って戻ってきたのだった。
パジェロはそのままのろのろと坂をあがって行く。

「やったね、おばあちゃん!」(当時カンレキまだ若い)

パジェロ車内でなんだなんだとザワついても、わざわざ返しに戻って来ることはないだろう。お互いこれでよかったのだ。

さて自分たちもクルマに戻ろう。
心は温かいが体はすっかり冷え切ってしまった。

そう思った、その時、坂の上のパジェロを見ると、なんだか止まっているように見えた。あれれ?と思ううちに、ゆるゆるとバックをしてくるように見えて来た。 ええッ!滑ってるのか???
‥‥そうじゃなかった。
こちらのクルマの所までバックで慎重に戻って来たパジェロからは、運転席の若者が降りて来て、さっき母が投げ込んだユキチを差し出した。
どうしても受け取れないと言う。
こちらとしても、たいへんな時間を割いていただいて、手間も助けていただいて、麓のガススタまでチェーンを買いに連れて行っていただいて(=ガソリン使ってる)、それに余る配慮とあたたかい思いやりをいただいた。お金に換算できないものばかりで尊すぎて、ユキチ1枚では購えないものをいただいたのだ。
‥‥だから気持ちだけですが、どうぞ受け取ってください、みなさんでご飯でも食べてください。
しかし若者は受け取らずに、笑顔でひとこと言った。

「これを受け取ったら親切じゃなくなります」


もうわたし達は立ち尽くすしか無かった。
雪の山道で、ティッシュに包まれて丸まったユキチを握ったまま、後ろ姿が見えなくなるまで手を振った。
八王子ナンバーの白いパジェロだった。




受け取ってしまったユキチ。
受け取られなかったユキチ。
どちらのユキチも手元に残り、日々樹は得をしたのでしょうか?
をしたかも知れませんが、同時にを失ったのかも知れません。
しかし本物の「親切」というものをユキチを通して学びました。
2枚のユキチを、わたしは決して忘れません。


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