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天気予報今昔メモ その2:富士山レーダー

長い付き合いの天気予報だが、今は「1時間後に雨が降ります」とスマホに通知がくる時代だ。気象庁のスパコンは、毎秒1京8千兆回の速度で雨雲の動きを計算しているらしい。

時代を大きくさかのぼり、日本初の天気予報が発表された頃の話となると、明治20年。西暦で言うと1884年6月1日のことだ。
その頃は、予報する場所の単位は「全国」だけだったという。
「全国一般、風ノ向ハ、定マリナシ。天気ハ、変ワリ易シ。但シ、雨天勝チ。‥‥」
と、なんとものどかな調子で、1日3回(つまり8時間先までの予報)が、東京市内の交番で掲示されたらしい。

わざわざ、交番へ歩いて見に行ったのだろうか。
他に方法が無いとはいえ、よくわからない発表のされかただ。
新聞の掲載は、なし。
読者の手元に届く頃には、予報時間を過ぎてしまっているからだ。

明治24年(1888年)に天気予報が24時間先まで出せるようになって、ようやく新聞に掲載されたという。
そして大正14年(1925年)のラジオ放送開始とともに、全国の天気予報も津々浦々まで電波で伝わり、ようやく人々の生活に密着するようになったようだ。

昭和28年(1953年)2月1日、初のテレビ放送がされた時。
開局にあたっての挨拶や祝辞が放送され、その後おもむろに天気予報が放送されていた。当時の天気予報は、昼1分夜5分の1日2回だったそうだ。

テレビ電波に天気予報がのって以来かれこれ90年。現代を生きる私たちの大半は、相変わらずこれを頼りに生活している。
現在「気象情報」と呼ばれるのはNHKの天気予報番組コーナーの総称だ。
元の「天気予報」から改称されたのは1990年。だが、改称の理由は全くわからない。「予報なのに当たらない」という一部悪評に耐えられなかったからだろうか?
だれか知っていたら教えてほしい。

NHK以外の大勢はどこもみな「天気予報」と掲げている。
この「大勢」とは、民間の気象会社のことで、1993年天気予報の自由化に伴い、各社独自に天気予報を発表できるようになったことに始まる。
それぞれコンピューターの計算方法も違い、計算結果にも専門家によって独自に情報を加えているそうだ。
だから天気予報は、サイトによって少々ちぐはぐで一貫性が無いのか。
納得した。

おおまかでいいから、天気予報なんてものは、自分の行動範囲内、自分の行動時間内のことだけわかっていればこと足りる。
(けっこうワガママなことを言っている)
一方で、現在のはどうも精度がすごいというのは冒頭に書いた通りだ。
予報する場所の単位も細かくなってきて‶メッシュ予報″などと呼ばれるが、某民間会社では1km四方だ。
また予報時間になると、民間側は1時間後までを5分ごとの細やかさで、随時最新の予報を発表。

また、気象庁が予報できるのは10日後の天気までとなっているが、外国ではもっと先までの予報が出ているところもあるらしい。
そんな先まで当たるのか?

お願いだから、当たるやつを出して‥‥


今は懐かしいNTTの天気予報ダイヤル177番は、‥‥まだやっています、健在です。昭和30年(1955年)以来70年の長きにわたりいまだ現役とは、恐れ入りました。
ええッ、そんなもん知らないって?!
そりゃそうですよね。
この天気予報メディアが多種多数飛び交う今の時代に、どんなシーンでどんな人が177番を使うのか‥‥、想像してみるのも面白い。

今は昔、‥‥「台風の砦」と呼ばれた富士山レーダーが、日本の天気予報を担った時代があった。
その気象画像は、現在の衛星画像の比ではないが、昭和40年(1965年)の運用開始当時は、世界最大の気象レーダーといわれ、最大探知距離800km(従来の3倍)を誇り、つまり800km先の台風が探知できるようになって、人々を安堵させた。
富士山レーダーの正式運用開始当時には、その記念切手も発行された。
その後、あのNHK番組「プロジェクトX」が始まると、その第1回に富士山レーダー建設工事の物語が放送された。それが大反響を呼んだことは、多くの視聴者が記憶していることだろう。
富士山レーダーは「日本の十大発明」というのにも選ばれているとかで、1995年の「八木アンテナ」受賞に次いでの2例目とのことだ。

さまざまな科学技術の、時代々々の最先端が注ぎ込まれた天気予報。
災害大国日本にとっては、それだけ重要なポジションにあったと言えるのだろう。



それでは、気象庁による天気予報がおこなわれる以前はどんなんだったのか‥‥?
天気予報今昔メモ、次回はそのあたりを書いてみたいと思う。


                                                      photo by 30 sunfish

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