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赦す、許す、恕す
誰かを批判しても何も変わらないと気が付いたのはいつからだろう。
テレビは数年前からほとんど見なくなった。
ネガティブなニュースは心身をやられるし、フェイクも多くクライシスアクターなるものが存在するのを最近になって知った。
SNSを眺めると、政治や他人に辛辣に意見する人が絶えない。
誰でも気軽に発信できるからなのか、テレビよりもタチが悪いような気もしている。当の本人にとってはそれが正義なのだからおそろしい。
ネガティブなことを発信することは好きではない。
「アンタいつもネガティブなこと書いてるじゃない」と言いたくなるかもしれないが、私は自身に起こった感情をシェアしているだけだ。誰かや何かを非難しない。どんなことを言われてもそれはしない。
だってそれすると自分が傷つくし、その感情も自分に返ってくるのを知っているから。わざわざ全世界にする公開する必要性が見出せない。
もちろん、大きな器は私にはない。イライラもするし、モヤモヤもする。自分を正義と信じて疑わない部分も持ち合わせている。
でも私はどちらかというと寛容な類なのだと思う。
コロナ騒動も、無能と揶揄されている政治家も、不謹慎な動画をアップして再生回数を稼いでいる人も、悪の誘惑になびいてしまった人も。
みんなみんなゆるせばいい。
私には国を動かすようなことはできないし、美しさやエンターテイナーで人を楽しませるようなこともできない。弱い心が誰にでも潜んでいることも知っている。
彼らに迷惑をかけられたことがないばかりか、自分には到底できないことを与えてもらった。
ずっとずっと守ってもらってきたし、感動したり笑ったりすることができたのだ。
「ありがとう」しかないじゃない。
「ありがとう」だよ。
そうか。
そんな気持ちでいられるのは、
とんでもないことをしてきた元旦那をゆるしたからだ。
とんでもないことをしてきた人たちをゆるしてきたからだ。
ずっとわだかまりのあった両親をゆるしてきたからだ。
ひとつずつしんどい思いをしながら向き合って時間をかけて直接関わりのあった人たちをゆるしてきたのに、今更他のだれかに怒りなんて湧くわけがない。
経験が全て今に繋がっている。
うねるように変化していくこれからの時代を生き抜くための術を今までの人生をかけて私は手にしてきたのだ。
必要なスキル。
それは「ゆるす」こと。
「赦す」とは、「怒りや恨みを解放する」こと。
「許す」とは、「聞き入れる、自由にさせる罪や過失をとがめだてしない」こと。
「恕す」とは、「思いやりの心で罪や過ちをゆるす」こと。
これらができたら
自分のことを「緩す」ことができるのではないかな。
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