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配属ガチャで辞めた人に伝えたいこと。

仕事を選べる幸せ

今からわずか157年前に、
大政奉還なる出来事があった。
その前は、江戸時代。封建制度の世の中だ。

僕は現在50歳なので、生まれた時には107年前だ。
人生100年時代と言われる今においては、
そんなに昔ではないと感じてしまう。

封建制度の仕組みは、
学校で習った憶えがあると思う。

士農工商という言葉があったが、
人口の85%が農民だったそうだ。
次いで、武士7%、町人(工・商)5%だそうだ。
(漁業は農に含まれていたのだろうか?)

当時は世襲制だったらしく、余程の才覚が無いと、
特別職に就くことは難しかったらしい。

すなわち、人口の85%が、生まれた時に、
農業をやる。と決められていた時代だった。

Try-itより拝借

世襲制を疑いもせずに育つ

教育システムが浸透していなかった時代には、
考えることの手段すら限られていた。

廃藩置県前には脱藩が罪だったから、
人との繋がりにも限界があった。
情報は限りなく狭く、弱いはずだ。

中にはきっと、ほんの数少ない事例であったにせよ
自分に向いている事に気付いたり、これがしたい!
と志して変化を起こした人たちは、いたはずだ。
と推察はする。事実は知らない。

文明開化と言われて

1867年が大政奉還。
1871年に明治政府により、
「職業選択の自由」が布告されたとのことだが、

布告されたからと言って、
すぐに何でも出来るわけではないのは勿論、
生まれ育った環境で、
選択には制限がかかっていたはずであり、

例えばそれは、
学問ができるような家庭に生まれていたのか?
や、
スキルを習得できる環境も、
問題であったろうと思う。

すぐに職業の変更をしたいとも、
思えなかっただろうし、
できなかっただろう。

もう一度言うが、
親ガチャで既に85%もの人は、
農業をせざるを得なかった。

ここまで読んで、
配属ガチャですぐに辞めた人を否定している。
と思われそうだが、そうではない。

自分の話

自分の話で恐縮ながら、
僕は新卒で入った会社では、
幸いにも希望の配属先だった。

その後の転職に関しては、全て飲食店だったので、
必然的に自分が望む配属(就職)先となる。

では、その自分が望む配属先に行けた場合、
何が待っているか?

自分の居場所を作る

ことに、全力を尽くさなければならなくなる。

自分の居場所を作る。とは、
今まで培ってきた経験を基に貢献して、
周りに認められる。

ということであり、

そこで新たに得る知見・経験での貢献は、
居場所マウントを取られる
ということである。

既存の同僚は教えることに対して消極的だ。
なんなら、自分の立場が脅かされようものなら、
全力で潰しにかかってくるという戦いもあった。

自分の世代は、第二次ベビーブームで、
就労人過多な背景があったから、というのもある。


当然だが、年齢と経験値は比例する。
その濃度は人によって違うが。

例えば前述の江戸時代の世襲で言えば、
現代の新卒で就職する年齢に至るときには、
家業においては既にベテランの域に達している筈だ。

新参で、何者かもわからない人である場合は、

何を以て職場に貢献するか?

を行動し、伝え、理解してもらう必要がある。

そして職場の規模にもよるが、
自分の提供可能なスキルが、
既に誰かによってその職場にもたらされていた場合、
違うスキルを以て、貢献することもあり得る。

その結果を以て、先輩や同僚はあなたを認める。

もし武器が無い!と思ったら、

パシるしかない。

実はこの丁稚奉公的な「パシる」は、
一番貢献を認めてもらいやすい手法でもある。

パシるにも二種類あり、
言われてやらされるか、
能動的にパシるかで大きく違う。

もちろん、後者でないと貢献できない。

配属ガチャで辞めた人へ。

様々な理由で退職に至ったのは、
致し方ないことだと思います。
事前のリサーチを行ってもなお、
知り得ないこともあったでしょう。

そして何より、最終的に退職に至るなら、
早く辞めた方がお互いにとって、
生産的であったことも間違いない事実です。

ですが、いつか希望の職場に就いたときに、
何をもって貢献するか?を考えておくといい。
ということだけお伝えしたかったのです。

とか言いながら。
最後にこの曲の歌詞を贈ります。

俺を含め誰の言う事も聞くなよ。

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