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「幸せの定義」

こんばんは、宇宙人こと植田です。

幸せの定義ってそれぞれ人によって異なる価値観ですよね。
でも、自分の中でこれだって思う定義が何か考えてみたので1人でも共感してもらえたら嬉しいです。



結論からお伝えすると、ぼくが考える幸せの定義は

「心が満たされている状態が継続される自分」

だと思います。




まず、ここでいう心(ココロ)とは精神、気持ち、感情など目には見えなくて最終的には自分にしかわからないものです。


行動や仕草から心を感じ取ろうとする考え方も存在しますが、全ての人が心と体が一致してるわけではないですよね。

もちろん、超重要な考え方なので必要な考え方だとは思ってます。




心と体が一致していない事例が僕にはありました。


以前コールセンターで受信(電話をかける人じゃなくて、電話を受ける人)の仕事をしていた時です。

新人の頃は、同期入社の仲間が多かったですし、
分からないことだらけで、なりふり構わず無我夢中でやるので、案内の精度は荒くミスも多いですがお客様からは「一生懸命やってくれた」というコメント付きで感謝を頂いた事がありました。

今では、一生懸命やろう!と言う気持ちと行動が一致してたので、頂けた感謝だったと思います。


しかし、時間が経ち知識がついた事で安定的に仕事もできミスもなく仲間もいましたが、手を抜いている訳ではないのに、どこか体力を温存して対応してるなと感じるようになってました。

その時「一生懸命やってくれた」と言われたあの頃の対応をしたいと本当は思っていました。
にもかかわらず、行動は安定的な行動をとっていました。

要するに、行動と心は違ったのです。

ちなみにこの事例に関しては、転職した事によって解決しました。

心が満たされる、又は余裕があるについては、
人がもつ欲求に関係していると思います。

例えば、幸福感・満足感・達成感・充実感・安心感
など欲求が満たされた時に得られるので、幸せだと感じると思います。



僕が幸せを感じた瞬間もその一つでした。
最近、妻と日本三名泉の岐阜県にある下呂温泉に行った時、幸せを感じました。

宿泊先のお部屋はかなり広くて、部屋専用の内風呂が付いていてていつでも気兼ねなく温泉に入れて、最高のリラックス空間でぼーっとできましたし、
妻という最強の自分のフォロワーと美味しいご飯をゆっくり食べれたからです。

日々忙しいから休息したいという欲求
人間関係と自己肯定の欲求
食べる事を楽しみたいという欲求

が叶ったので、
心が満たされ、余裕が持てたんだと思います。



しかし、大事な事があります。
「温泉に行って幸せを感じた」と言うことは、温泉から帰ってきたらどうなるの?!ってことです。

月に1回温泉行けたら最高だよねってことで、
毎月毎月温泉の予定が入っていたらずーっと幸せですね。



例えば、他の事例で
わかりやすいものだと結婚や子供だと思います。

結婚をするとその後ずーっとパートナーがいる訳ですから、信頼し愛し愛される人が1人できます。

その安心感は基本的に継続されると思うので、
幸せです。

さらに子が生まれると、安心感は何倍にも増しますし、他にも様々な感情がどんどん満たされていきます。

それも基本的には継続されると思うので、
幸せです。

逆に結婚したのに、諸々お先真っ暗な感じで継続できそうになかったら幸せとは程遠いかなと思います。



人は再現性があって、初めて本当の幸せを感じられるんじゃないかと僕は思います。
だから、努力しないといけないですし幸せにあぐらをかくこともできません。


いろんな幸せを積み重ねて大きくしていくことで、自分らしい本当に自分だけの幸せが見つかります。

そして、

「心が満たされている状態が継続される自分」

になると思います。





最後まで読んで頂きありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

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