じいちゃんが死ぬ時
今日じいちゃんのお見舞いに行ってきたが、やはり心の整理がつかない為、書いて気を紛らわせようと思う。
じいちゃんの先が長くないことを知ったのは、先週だった。その時は自信があった転職の面接も落ちて落ち込んでいたので、追い打ちをかけるようなタイミングだった。
病気のことは詳しくないのでよくわからないが、心不全や肺炎に持病の糖尿病もあり手術ができないとのことで、とにかく長くないとの知らせを受けた。
医者からそのような話を聞いたじいちゃんは「俺もう長くないんだって」とばあちゃんに話したようだ。
先に見舞いにいった父から送られてきた写真はまだ元気そうに見えて、とてもじゃないが死にそうには思えなかったので大丈夫じゃないかなと思った。
とにかくお見舞いに行かねばならなかったので、姉と妹と日程を合わせて向かうことにした。
僕は姉と待ち合わせて義兄さんの駆る車で病院に行った。病院の駐車場で母と待ち合わせ、簡単に状態を聞いたが、僕の想像より酷いことが察せた。いざ面会で顔を合わせた時、僕はすぐに泣いてしまった、姉も泣いていた。
どうみても持たなそうだった。うまく呼吸ができない為しゃべるのも苦しそうで、血中酸素濃度が低下してるだかなんだかで呼吸器をつけていた。
モルヒネを投与するかどうかの段階なようだが、僕たちがお見舞いに来るため、父がそれまで投与は待ってほしいと先日懇願していたと知った。
幸いにも意識はまだはっきりとしていたので、僕のことも姉のこともわかっていたが、喋るのも大変そうだったので、何を声かければいいのかわからなかった。
じいちゃんは「もう長くないんだって、今日か明日かなぁ」と呟き「元気にやってるか?」と僕の心配をしてくれた。姉弟の中で僕が一番実家に顔を出さないから、心配をかけていたようだった。
「彼女もいないし結婚もできそうにないけど、元気だよ」と僕は笑って伝えたかったけど、無理だった。姉は初夏に子供が生まれる予定なのでそれまで生きてほしいとしきりに伝えていたが、難しいなぁと返されていた。
そのうちお昼が運ばれてきたが、とても食べられるような状態ではなかったので、リクエストである牛乳やヨーグルトや餡子を食べさせてあげた。
口に運ぶたびに「うまいなぁ」と本当に美味しそうに食べていたけど、それが僕は辛かった。そのうちに妹も義弟と到着し、特別に産まれたばかりのひ孫の面会も許され声をかけていた。
その頃には僕も少し落ち着いていたが、姉と義兄さんと妹と義弟と僕の空間で、僕だけ結婚していなかったので、それも悲しかった。
親族は大分集まっていたがじいちゃんは、寂しいようで、父を呼んでほしいと頼んでいた。
父は普段じいちゃんのことを邪険に扱い気味だったが、何回かお見舞いにきたであろう後の今日も、泣いていた。父がこれだけ泣くのを見るのは初めてだった。普段からは見せないような優しさで、甲斐甲斐しく水を飲ませたり、肩をもんでいた。
他愛のない話を少しした後に、父が来た安心感からかじいちゃんは寝ていた。起こすのは忍びなかったので、家族が集まったのでみんなでひっそりと写真を撮り、それを病室に飾った。
起きた後のじいちゃんはとにかく寂しいから父とばあちゃんに傍にいてほしいと繰り返していた。父もそれを受け止めようと必死だった。
別れ際にじいちゃんは「皆が集まってくれて嬉しかった、幸せだ」と苦しそうだがそういってくれた。
癌を宣告された患者には、心のプロセスがあると聞いたことがある。
第一段階が自分が癌であることを認めたくない自己防衛の段階。
第二段階が抑うつ・不安状態になる段階。
第三段階として受け入れ、立ち直りの段階だという。
入院からわずか数日で、自分が余命幾ばくもないと知ったじいちゃんは、自分の気持ちにどう向き合っているのだろう。
僕としてできることはもうほとんどないが、せめてこれ以上苦しまずに、と思うばかりである。
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