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ハリス

「窓の外をみてごらんよ、白のゴールデンレトリバー。美しいねぇ。」
「やっぱり、もう一つクロワッサンをいただこうかな。」
 
やたらと店員に話しかける中年男性客。
小さなカフェで、他の客は本を読んだりパソコンに向かったりしている。静かな店内にその男性の声はよく響く。
 
延々と話しかけられている女性店員は慣れた様子で、
「そうですね。」
「はい。」
お手本のような塩対応。朝イチでからまれていらいらしていたのか、その女性店員はおしゃべりおじさんの空のカップをさげるときにスプーンを落としてしまった。拾うついでに話を続けるチャンスをつかんだと思ったおじさんだったが、
「どうも。」
と店員が会話を打ち切った。おじさんは引き下がった。
 
おじさんがどんな表情をしているか興味がわいて、ちらっとそちらを見た。特に傷ついている様子はない。メンタル強めだ。カウンター近くの、店員の視野に入りやすいところに陣取っている。あんな近くに座られて話しかけられ続けたら、店員の仕事は全くはかどらないだろう。
 
カウンターで男性店員がコーヒーをいれはじめた。おじさんはまたも親しげに話しかけ始めた。さっきは英語、今度は仏語だ。なんだ、女性店員目当てではなくて、ただのお話好きな常連客だったか。背面で繰り広げられる会話を盗み聞きしたりして、変な客は私のほうじゃないか。
 

聞き耳を立てていたことを反省して自分の作業に意識を戻した瞬間、

「コニチワ~」

おじさんが話しかけてきた。手あたり次第かよ!思わず声が出そうになる。店内にアジア系は一人しかいない。しぶしぶ声の主の方を向く。外国語なら言葉がわからないふりもできるが、日本語で話しかけられたらワカリマセンとは言えない。腹をくくる。
 
おじさんが日本語で名乗る。日本語上手ですねと言ったら、ハッピーオーラ全開おじさんのマシンガントーク(英語)が始まった。

「中国語を勉強した時に日本語も勉強したけど、難しかった。日本はすごいよね、クロサワとかミサワとかほんとに。(ここから昔の映画の話になったけどついていけず。)私はギリシャから来た。ギリシャと日本には共通点あるよね、自然が好きっていうこととか。」
 
詩も共通点ですよね、という私の合いの手に満面の笑みでうなずく。
 
「私の拠点はベルギーだけどオランダと行き来している。この町は静かだけど不便すぎなくていいよね。私はハリス。あなたのファーストネームは?」
 
なるほど、ただ人懐っこいだけか。曇りなき心をもつハイパーフレンドリーな人だったってことか。ギリシャの太陽を浴びて育つとこうなるのか。こちらにお金を払わせようとしているわけでもなし、ただ出張先のカフェでの出会いを純粋に楽しんでいるだけだったか。変に怪しんですみませんでしたと心の中で陳謝。
 
「また会えるかもしれないね。」

去り際にハリスは笑顔で言った。常套句だろうけど、それでも、また会えるかもしれないことを楽しみにしてくれる人がいるって嬉しいことだ。

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